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〈祝40歳〉「イブラ様」のヤンチャで男前な5大事件 テコンドーで敵も味方もKO、無礼な若手に激怒 でも日韓W杯で…
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images/Takuya Sugiyama
posted2021/10/03 06:00
ユーベ、インテル、ミランで無双だったイブラヒモビッチ様。40歳の今もなお、膝の痛みすら感じさせない豪胆さに感服するばかりだ
2)俺様がどこでも勝たせてやる! スクデット請負人爆誕
06年夏、ユーベが審判不正疑惑“カルチョーポリ”で解体されたとき、ズラタンには移籍先としてミランとインテル、2つの選択肢があった。
「インテルはもう17年もスクデットを勝ち取っていない。“怪物”ロナウドもバッジョもビエリもピルロもセードルフも誰一人成功できなかったことを俺様がやってやる」
不倶戴天の敵への移籍はユベンティーノたちにとって許しがたい所業だったが、常人が及ばない境地のズラタンにはどこ吹く風。FWクレスポやFWアドリアーノらを押しのけて瞬く間にエース格にのし上がると、スクデット獲得の原動力に。次々にゴールネットを揺らすズラタンは、相手DFにとって悪魔に見えただろう。
当時のインテル監督はマンチーニ(現イタリア代表)で、幸いなことに気心が通じ合った。
「マンチーニは“COOL”だった。選手の気持ちがわかる」
最も苦しんだ07-08年シーズン、優勝争いは雨中の最終節パルマ戦へもつれこんだ。試合中、宿敵ローマ逆転の報に切羽詰まった指揮官マンチーニは、怪我を抱えたイブラ投入を決断。ズラタンは2ゴールを上げ、再逆転優勝の救世主となった。
優勝決定後のロッカールームで感極まった指揮官が「ありがとう」と感謝すると、得意満面のズラタンは「プレーゴ(どういたしまして)」。言葉のニュアンスとしては、上から目線の“俺様が勝たせてやったんだぞ”が意訳として妥当だろう。
「俺様が行くところ、どこでも勝たせてやる。それが俺のメンタリティ」
実際のところ、イブラヒモビッチはシーズン中からマンチーニにタメ口を叩いていた。両者の信頼関係あってのことだが、目上のはずの監督でも意に介さないのがイブラ流。並のプレーヤーにはまったくお勧めできない。
3)得意のテコンドーで敵も味方もKO
CLで勝てないインテルを飛び出たイブラは09年夏、当時世界最強を誇ったバルセロナへ。
しかし、まったくサッカー観の異なる戦術家グアルディオラ(現マンチェスター・C)と激しく対立。「次に会ったら絶対ぶっとばしてやる」と公言するほど憎悪を剥き出しにして、1年限りでミラノに舞い戻った。ただし、今度の入団先は赤黒ストライプのミランだ。