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【石川遼30歳】「(松山)英樹や丸山さんのように勝てる選手になって…」丸山茂樹に明かした日本復帰の理由、稲垣吾郎との再会

posted2021/09/17 11:01

 
【石川遼30歳】「(松山)英樹や丸山さんのように勝てる選手になって…」丸山茂樹に明かした日本復帰の理由、稲垣吾郎との再会<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

30歳を迎えた石川遼。日本ゴルフ界を牽引する存在として、これからも期待を背負っていく

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NumberWeb編集部

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Sankei Shimbun

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は9月17日に30歳となった石川遼にまつわる4つの言葉を写真とともに振り返ります。

<名言1>
「まさに社会科見学だった」
(石川遼/NumberWeb 2020年5月20日配信)

https://number.bunshun.jp/articles/-/843566

◇解説◇
 2007年5月20日は日本のゴルフシーン、いや、日本のスポーツシーンにおいて、紛れもなく歴史的な一日となった。

 岡山県・東児が丘マリンヒルズで行われた「マンシングウェアオープンKSBカップ」で頂点に立ったのは、プロのトーナメントに初めて出場した15歳の石川遼だった。

 当時は杉並学院高校に入学したばかり。中3時に全国優勝の実績があったとはいえ、それはジュニアゴルフ界に限っての話。そもそも一介の高校生アマがプロツアーに出られたのには理由があった。

 大会の1カ月半前、プロを含めた予選会に出場した石川はカットラインこそ届かなかったものの、アマチュアの中で最上位の成績を残した。結果は何より、そのハツラツとしたプレーと佇まいが主催者の目にとまったことで、推薦枠での出場を叶えたのだという。

 たった1人でキャディバックを担いで岡山の地に乗り込んだ当時を石川は「まさに社会科見学だった」と振り返った。会場で選手をサポートするメーカーから新品ボールをもらって興奮すれば、プロの技に触れて「全部同じところにボールが落ちてる」と驚き、その何もかもが新鮮に写ったのだろう。

 そんな石川を温かく見守ったのはともにプレーする先輩たちだった。

 あれよあれよという間に優勝争いに顔を出した石川に、ラスト9ホールを10番ティショットでは、同組でプレーした立山光広が石川の手首を掴み上げてこう叫んだ。

「きょうの主役はここにいるぞ!」

 すると、周囲は喝采。重圧になるはずの大観衆は一瞬にして味方になった。

「実力以上のものが出た。運もあった。奇跡もあった」
「たくさんの人が自分を見ていてくれた。それがなければ、いまはない」

 才能を見出してくれた指導者、出場のチャンスをくれた大会関係者、温かい目で迎えてくれた先輩プロたち。石川は、今でもこの試合を振り返る時に必ず感謝の言葉を添えている。

【次ページ】 ほろ苦いマスターズデビュー

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