ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
石川遼、15歳が掴んだ奇跡の初優勝。
思い返すと「まさに社会科見学」。
posted2020/05/20 11:50
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph by
Kyodo News
奇跡めいた出来事は、偶然に紛れた必然のピースを探してできるパズルのようでもある。
2007年の5月20日は日本のゴルフシーンにおいて、紛れもなく歴史的な一日。なにより、ひとりの男子高校生の人生を変貌させた一日だった。
13年前、岡山県・東児が丘マリンヒルズで行われたマンシングウェアオープンKSBカップ。男子プロゴルフツアーに初めて出場した15歳のアマチュア・石川遼が優勝した。以来、あらゆる最年少記録を更新し、この1勝の権利を行使してプロ転向したのが翌年1月のこと。賞金王に輝いたのがそのまた翌年のこと。
すべてはあの日が物語の始まりだった。
無名の15歳が出場できた理由。
当時の石川は高校に入学したばかり。中3時に全国大会で優勝し、すでに多くの同級生や後輩たちからは見上げられる存在ではあったが、それはジュニアゴルフ界に限ってのことだった。プロの世界ではもちろん無名。
そもそも一介の高校生アマが、プロツアーに出られたのにはワケがあった。大会の1カ月半前、石川はこの試合のプロを含めた“予選会”に出場した。カットラインに届かなかったものの、アマチュアのなかで最上位の成績を残していた。プレーはもとより、溌溂とした佇まいが主催の瀬戸内海放送(KSB)関係者の目に留まり、推薦枠で本戦のフィールドに加わったのである。
話はさらに遡る。中学時代の石川は早くからプロ入りを夢を描き、他県も含め多くの高校ゴルフ部からの誘いを断っていた。卒業後も地元埼玉の公立高校で陸上部に入りながら、課外活動としてゴルフに取り組むつもりでいた。
だが、選んだのは東京の私立・杉並学院高。吉岡徹治監督(当時)の、他の強豪校とは少し異なる方針、トップジュニアにプロゴルファーとプレーする機会をいち早く、より多くつくるという育成方針に共感して入学を決めた。
それゆえ、当時は進学して早々にこのKSBカップ以外のプロツアーの予選会にも参加していた。運命の日のちょうど1週間前も、栃木県のゴルフ場で予選をプレーした夜に宇都宮から新幹線を乗り継ぎ、キャディバッグを担いでひとり岡山へ。帰路につく頃、世界が一変していることなど想像すらしていなかったのは言うまでもない。