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「アメリカのファンにインパクトを」中谷潤人23歳が初防衛戦で見せた“鼻骨折”TKOの衝撃…日本人ボクサーが海外防衛戦を行うメリットとは?
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byKYODO
posted2021/09/13 17:01
10日、WBO世界フライ級タイトルマッチにて初防衛を果たした中谷潤人(左)
アコスタも闘志を見せてパンチを振るい、中谷がこれをもらうシーンもゼロではなかった。しかし、パワフルなはずのアコスタは中谷を下がらせることができない。このようなタイプは前に出ていればその威力を存分に発揮できるが、中谷に押し込まれているためパンチを振るっても効き目は薄いのだ。中谷は多少被弾しても「危ない」と感じさせることがなかったのはそのためである。
アコスタの鼻血の量が多いため、2、3回にドクターチェックが入る。結局4回早々、試合続行不可能と判断したレフェリーがTKOを宣告して試合は終わった。陣営は「アコスタが後半落ちてきたところで倒したい」と青写真を描いていたが、蓋を開ければ序盤でTKOという計画を上回る形でのフィニッシュだった。
もともと「アメリカのリングは目標だった」
これで中谷はデビューから無傷の22連勝(17KO)。難しいと言われる初防衛戦を、しかも海外で難なくクリアした形だが、初防衛戦までの道のりは決して順風満帆だったわけではない。4度の延期の末に実現した昨年11月の世界タイトル獲得試合がそうだったように今回もコロナという見えない敵には振り回された。
指名挑戦者アコスタとの防衛戦は当初、5月に大阪開催という線で準備が進んでいた。ところがコロナ禍の影響で延期となり、いったんは白紙に。アメリカ開催が決まったあとは、師事するトレーナー、ルディ・エルナンデス氏、岡部大介氏の住むロサンゼルスに8月頭に入るプランを立てたものの、これも社会情勢によって8月下旬までずれ込んだ。
しかし結果としてアメリカ開催は中谷のモチベーションを高めた。中学時代にボクシングで世界チャンピオンになることを志した中谷は、卒業後に高校へは進まず、単身アメリカに渡ってボクシングを学んだ。帰国してからも両トレーナーのもとに何度も足を運んで指導を受けており、もともと「アメリカのリングは目標だった」という考えである。むしろこの段階で海外防衛戦ができるのは喜びだった。
ファンの声援で溢れた会場で
「向こうのファンにインパクトを与える試合をしたい」、「名前を売りたい」と繰り返していたチャンピオンが勝利者インタビューで「僕のボクシングを観て(観客が)沸いてくれていたのでいい試合ができたのかなと思う」と笑顔を見せたのは印象的だ。10カ月前、世界タイトルを獲得した後楽園ホールの試合は、客入れが制限された上に声を出しての応援は禁止されていた。それは静かな戴冠劇だった。
一転してこの日のアメリカの屋外リングは、映像で見たところマスクなしの観客でぎっしりと埋まり、中谷はファンの声援を体いっぱいに浴びた。海外のファンは、名前を知らない選手の試合であっても好ファイトにはこれでもかというくらい盛り上がるのだ。中谷はようやく世界チャンピオンになれたという実感を得たのではないだろうか。