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<次世代続々>水谷隼がパリ五輪を託した「頼もしい後輩達」3年後の男子卓球エースは張本智和と……?
posted2021/08/29 11:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shinya Mano/JMPA
選手にとって、オリンピックは競技人生のひと区切りとなる。それは選手ばかりではない。選手らの進退とともに、競技ごとの勢力図も塗り替えられていく。卓球男子もその例にもれない。
東京五輪の卓球男子は水谷隼抜きに語れない。混合ダブルスと団体戦に出場し、それぞれでメダルを獲得。プレーもさることながら、丹羽孝希、張本智和の厚い信頼を受け、チームの大黒柱として存在感を示した。
水谷は2005年に初めて日本代表に選出されて以来、最初のオリンピックとなった2008年北京を皮切りに東京まで4大会連続出場。まぎれもなく日本男子の柱であった。
団体戦後の会見で水谷は、「まだ最終的な判断はできていない」とした上で、こう語っている。
「今の自分の気持ちとしては完全に卓球から離れると思います。やはり目の影響がすごく大きくて、目が完治するなら40歳でも50歳でもやりたいと思っていますが、現状、治療法もないということで、悔しいですけど自分の冒険はここまでかなと思います」
かねてから苦しんできた目の状態に触れつつ、退く意向を明らかにした。
水谷に加え、監督を務めてきた倉嶋洋介氏も、東京五輪をもって退任することが明らかになっている。2010年にコーチに就任し、監督に就いたのは2012年のロンドン五輪後。長期にわたり多角的に強化に取り組んできた指導者が退くことも、新時代の到来を予感させる。
第一人者が知る“怖さ”
水谷は言う。
「張本選手がすばらしい活躍をしてくれて、頼もしい後輩達がいるのでパリオリンピックではぜひ頑張ってほしいなという気持ちでいっぱいです」
水谷に名前をあげられた張本はこう語る。
「水谷選手のプレーを間近で見させていただき、自分も水谷選手も多分同じ怖さはあると思うんですけど、その怖さに向き合って打ち勝つことができるのが水谷選手で、自分にはまだ逃げてしまうところがあるなと感じました。怖さはみんなが感じる中で、次のオリンピックでは怖さと向き合って個人戦から勝てるようにしたいです」
団体戦の直後は水谷を「引退させません」と言った張本だったが、1日置いて受け止め方も変わった。