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《波乱の地方大会》「親子でやってるから負けたんだ」“絶対王者”山梨学院5連覇できず…バッシングされた監督の告白
posted2021/08/25 17:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
山梨学院の吉田洸二監督は、言葉を飾ることなく「並びたかった」と言った。
「仮に来年の夏に優勝できたとしても、そこからまた5年かかるので。かなり長い年月ですからね、そういう想いはありました」
今年の夏も山梨学院が山梨大会を制していれば、1984年から88年に東海大甲府が達成した5連覇の記録に並ぶはずだった。
しかし結果は、準決勝で敗退。
2016年から4連覇の山梨の絶対王者。吉田が5大会ぶりに敗れた夏を思い返す。
「今年、連覇が途切れて『残念だった』って思いより、『今までよく勝てていたな』って気持ちのほうが、正直あるんです」
敗因を聞かれれば即答できる。
油断。慢心。そこに尽きる。
「負けた原因は、私のそういった心の隙にあったと断言できます」
「大丈夫だろう」「県大会は勝てるだろう」
発端はちょうど1年前まで遡る。この時、山梨学院は甲子園球場にいた。
新型コロナウイルスの感染拡大によりセンバツが中止となったことを受け、夏に救済措置として1試合のみの交流試合が甲子園で開催。代表校の山梨学院は、最終日である8月17日の最終試合で白樺学園と対戦した。翌日から束の間の休息を経て、新チームが始動したのは21日。約3週間後には、秋季県大会の初戦が控えていた。
昨年のチームは3年生が主体だった。とりわけ、プレーに関わることが多く、重要視されるセンターライン(ピッチャー、キャッチャー、セカンド、ショート、センター)が一気に抜け、新チームでの育成が急務だった。
不安要素を自覚している。時間も足りない。それでも吉田は、つい魔が差してしまう。
「大丈夫だろう」
こんな楽観的な感情は、もうすぐ30年を迎える指導者人生で初めてのことだった。
「チームが非常に不安定じゃないですか。にもかかわらず、『県大会は勝てるだろう。関東大会まで進めば時間ができるから、そこで調整できれば』と思ってしまいました」
「親子でやってるから負けたんだ」
ここで筆者は大きな疑問を抱いた。
吉田は清峰の監督時代に、春夏合わせて5度、甲子園に出場し、09年のセンバツでは長崎県勢初の全国制覇を成し遂げた。甲子園通算15勝の実績を誇る男が、安易に「大丈夫」などという希望的観測に走るわけがない。
そのことを率直に尋ねる。すると吉田は、自らの非を認めるように隙の正体を明かす。