フランス・フットボール通信BACK NUMBER
「クラブもなければ仕事もない」CL王者チェルシーの守護神エドゥアール・メンディが職安に通った6年前の無職の日々
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/08/15 11:00
1992年生まれ、29歳のメンディ。セネガル、フランス、ギニアビサウと3つの国籍を持つが、代表としてプレーするのはセネガルを選択した
――3度目の挫折が2014年の夏ですか?
「あのときは本当に酷かった。僕は22歳で、CFA(フランス4部リーグ)のシェルブールでプレーしていて調子はとても良かった。子供もいなければしがらみもない。イングランドの1部か2部でプレーするつもりで、代理人も太鼓判を押していた。ところが7月はじめに、出発は2~3週間遅れると告げられ、8月になると連絡が途切れた。不安が高まった。当時はサッカー界の仕組みをよく理解していなくて、こんな事態に陥るなど想像もしていなかった。常軌を逸していたし信じられなかった。『たぶん彼は忙しいのだろう。そのうち連絡してくるだろうから心配はいらない』と自分に言い聞かせた。彼が代理人を務める他の選手たちに会ったら、彼らは近況を知っていた。酷いものだった!
8月30日にようやく代理人からメッセージが届いた。電話ではなくメッセージだ。『できる限りの努力をしたがうまくいっていない。ル・アーブルと連絡を取り、状況が好転するまで練習できるように計らった』と。
とにかく大変だった。両親は失望の表情さえ浮かべなかった。『私たちの子供はこれからどうなるのだろう』と彼らは恐れを抱いていた。僕も『本当にクラブを見つけられるのか。サッカーを続けられるのか?』と思った。ル・アーブルでの最初の2~3週間は心ここにあらずで、練習でピッチに立っていても違う場所にいるようだった。『こんなところで何をしているんだ?』と思った。これまでの8年間を無駄にして、大きく後退した気分だった。そこは僕が居たい場所ではなかった。本当に辛かった」
無職時代に感じた喪失感
――《本当の》人生と向き合えるようになりましたか?
「カッコつきじゃない。本物の現実の人生だ。クラブもなければ仕事もない。いったい何をやっているんだ。母は僕にこう言った。『一文無しだけど以前は仕事をしていたのだから失業者の権利がある』と。僕はどうしたらいいかわからなかったけど、家族がいろいろ教えてくれ、ポール・アンプロワの面接予約をした。行ってみると人々が行列を作り、カウンターでわめいている。長時間待たされて誰もがイライラしていた。僕の番が来ると、カウンセラーはできる限りのことをしてくれたが、とても急いでもいた。僕の後ろには50人以上が待ち構えていたからだ。あなたのケースは特別じゃない。他の人たちと同じだから、特別な配慮はないと。面談で彼は僕にこう尋ねた。
『あなたは何を求めているのですか?』
僕は答えた。
『サッカー選手だから、プレーができるクラブを探している』
彼の答えはこうだった。
『それについては私たちではお役に立てません。残念ですが』