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張本智和「引退させません」伊藤美誠「水谷選手とだから勝てた」 後輩に“憧れられる”水谷隼は卓球界の何を変えたのか
posted2021/08/07 17:06
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
8月6日、卓球男子団体3位決定戦が行なわれ、日本が3-1で韓国をくだして銅メダルを獲得した。リオデジャネイロ五輪の銀メダルに続き、2大会連続での表彰台だ。
第1試合のダブルスを水谷隼、丹羽孝希で制すると、第2試合で張本智和が勝利。
第3試合の丹羽が敗れ、迎えた第4試合は水谷が登場する。
韓国は張禹珍。これまでに2度対戦し、2度とも敗れている相手だ。
だがこの試合は、32歳、水谷の経験と培った技術がいきた。第3ゲームを11-8で終え、この試合の勝利と銅メダルを決めると、水谷が両手を掲げた。そこに飛びついたのは、張本だった。
「水谷さんがいての日本男子チームです。最後に決めてくれると信じていましたし、もうリオからの5年間、感謝しかありません」
水谷が負ければ次は張本の試合だった。それでも張本が声援をおくったのは、言葉の通り、水谷の勝利を信じていたからだ。チームの柱としての水谷に、絶対的な信頼を置いていたことを伝える言葉であり、水谷のこれまでを思い起こさせる言葉でもあった。
中学生のときにドイツに渡り、道を拓いていった
水谷は男子団体に限らず、今大会の立役者であった。
その足跡を卓球界で知らない人はいない。
早くから頭角を現した水谷は2007年、17歳で全日本選手権初優勝を果たし、このときを皮切りに5連覇を成し遂げる。「今回で最後にする」と決めた2019年の大会では、史上初の13年連続決勝進出を達成し、やはり史上初の10回目の優勝を飾った。
オリンピックは2008年北京が最初の出場。東京まで4大会連続で出場し、2016年リオではシングルスとして男女を通じて日本初のメダル獲得となる3位。団体でも銀メダルを獲得した。
その他、数々の国際大会などでも活躍したが、水谷を特別の存在としているのは、その足取りと行動にある。早くから世界で戦うことを志し、中学生のときにドイツに渡り、資金的に楽ではない生活を送りながら卓球に励んだ。ドイツでチームを渡り歩き、さらに中国やロシアのチームにも所属。より自分を高められる環境を常に求めた。しかもそれを自ら形作った。その中にあって、2005年には中国のメダリストを破り、中国を倒せるのでは、という期待を抱かせた。