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リオ直前“選手生命危機の大ケガ”から5年、東京五輪で走り高跳び金を分かち合い… イタリア&カタール人のエモすぎ友情物語
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byYohei Osada/AFLO
posted2021/08/06 17:03
タンベーリとバルシムはライバルであり、戦友であった
バルシムだった。無言でタンベーリの肩をさすってやり、やさしく手を握った。
ほぼ時を同じくして駆けつけた医療スタッフが、タンベーリのシューズを外そうと試みるもうまくいかないと見るや、バルシムはその手助けやアイシングまで黙々と行った。
あのとき、世界の暗黒を見ていたタンベーリにとって、バルシムの手はどれほど救いになっただろう。
ギプスに書いた「ROAD TO TOKYO 2020」
手術の後、父マルコと再起を誓ったタンベーリは、恋人キアラに頼み込み、ギプスに「ROAD TO TOKYO 2020」と書き込んでもらうと、イタリア選手団に同行してリオに向かった。松葉杖姿でスタンドからデレク・ドルイン(カナダ)が金メダルを、バルシムが銀メダルを獲るのを見届けた。優勝記録「2m38」を見たときには心が騒いだ。
再起は迷走した。"タンベーリはもう二度と以前のようには跳べまい"という悲観的な声は根強く、以前の破天荒な言動から陸上連盟のお偉方にもお説教をくらった。
ずっと自炊していたものの、17年世界陸上の前には不確かなダイエット専門家に踊らされて、ベスト体重77kgから3kg近く減量した状態で臨み、まるで力が入らず惨敗というヘマも犯した。
東京を目指すうちに、タンベーリはアドリア海に面した故郷マルケ州の自然の中に練習拠点を置くようになった。浜辺でのランニングや展望台への階段ダッシュをくり返す中で、自分の内面を見つめ直した。
五輪の1年延期が決まると、21年夏までの計画をすべて組み直した。ギプスに書かれた西暦は「2021」に書き直された。国内陸上界もインドア大会の試合開始時刻を東京五輪本番の予選に合わせて朝9時に変更し、アスリートの体内時計を順応させるべく一致協力体制で臨んだ。
無観客の国立でいつものように手拍子を
7月30日、東京の国立競技場のフィールドに入ったタンベーリは、ついいつもの癖で観客に手拍子を求めるべく両腕を大きく振った。
すぐに無意味なことに気がついて我に返り、周囲を観察した。国立競技場の踏切板の感触は気に入った。集中状態に入ったから、暑さも感じなかった。
背中をのけぞらせ、バーの手前でバネで弾かれたように「く」の字に反転する。