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リオ直前“選手生命危機の大ケガ”から5年、東京五輪で走り高跳び金を分かち合い… イタリア&カタール人のエモすぎ友情物語
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byYohei Osada/AFLO
posted2021/08/06 17:03
タンベーリとバルシムはライバルであり、戦友であった
2m25までの3本をすべて一発クリア。予選通過ラインだった2m28の試技も一度のミスだけで危なげなくクリアした。
同じイタリア代表で今回が五輪デビューだった23歳ステファノ・ソッティレが「距離感がつかめない。どう跳んでいいかわからない」と冷静さを失い、2m21を失敗して予選落ちしたのと対照的だった。
バルシムもまた重圧を背負っていた
己の力量を知る、出場3度目のバルシムは慎重に、丁寧に跳んでいった。
中東生まれのバルシムもまた10代の頃から、母国カタールのスポーツ・エリートアカデミーで英才教育を施されてきた。11年に神戸で行われたアジア陸上選手権で、2m35のナショナルレコードを出して優勝したとき、まだ20歳だった。
母国の期待とプレッシャーを負いながら多くの国際大会で記録を残し、世界陸上でも17年ロンドン大会と19年ドーハ大会を連覇。17年にはIAAFから「アスリート・オブ・ザ・イヤー」表彰を受けた。
「バルシムは多分歴代最強のハイジャンパーだと思う」(タンベーリ)
ただし、五輪では2012年ロンドン大会で銅メダル、前回リオ大会でも銀と、頂点には届かなかった。18年夏には足首に大怪我を負い、長期のリハビリを強いられた。地元開催だった19年世界陸上で復活の2m37を跳び、優勝した精神力を決勝8位タイのタンベーリは見ている。
国籍も大陸も言葉も宗教もちがうけれど、国際大会のたびに、決勝に残るたびに、自分しか知らないと思っていた領域に必ずいた好敵手。絶望に触れた5年前、真っ先に情をかけてくれたバルシムを、タンベーリは「本当の友だち」と呼んだ。
戦友2人だったからこそ金メダルを分け合えた
もし、決勝で最後に残ったのが他の2人であったら、金メダル争いはジャンプオフにもつれ込んでいたかもしれない。
8月1日、栄冠を手にしたのは世界で最も高く跳び、東京の夜空に最も近づいた戦友2人だった。