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あれから10年、松田直樹の死に向き合うということ「立ち尽くして、マツさんって名前を呼ぶことしか…」<元チームメイトが語る>
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/08/05 17:03
2011年、練習中に急性心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となった松田直樹。あれから10年の月日が経った(2011年撮影)
「トップもアカデミーもスペイン人の指導者になって、一貫した指導体制をつくろうとしているところに惹かれました。(アカデミーの)ミーティングにも参加させてもらって、“この年代はどんなことができたらいいですか?”とか選手目線に立つ僕の意見も聞いてもらっています。だから僕自身も勉強になっています」
教えることが、逆に学びにもなる。
サッカーを深く勉強する場が与えられたことで、逆に選手としてもまだ成長できることがあると感じている。
あと何年、現役を続けられるかは分からない。ただ、サッカーとずっと関わっていくことは間違いない。
松本を離れたことで「山雅を全国区にする」目標は、一時中断となった。
息子を「松田直樹を超えるディフェンダーにしたい」
だがここに来て新しい目標が生まれた。
飯田は目を輝かせる。
「ここに来てサッカーを勉強しているのも、もしかしたら将来、息子がサッカーやりたいなってなったときに教えられるからなんじゃないかって思うんですよ。松本山雅で松田直樹を超えるディフェンダーにしたいって、本気で思うようになったんです。もちろん息子がやりたくないって言ったら別ですけど(笑)。でも……」
言葉が止まった。
斜め上に視線をやりながら、松田を想う彼がいた。
「今またマツさんと一緒にサッカーをやってみたいんですよね。いろいろと勉強してサッカーを分かってきた自分に、いろいろと教えてほしい。今ならちょっと分かると思うんですよね」
飯田真輝の心にも、いつも松田直樹がいる。
これからもずっと、ずっと――。
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