オリンピックPRESSBACK NUMBER
《ソフトボール金の功労者》優勝直後に“頭ポンポン”…神救援で話題の後藤希友(20)を育てた「世にも贅沢な2人の師匠」とは?
posted2021/08/02 17:01
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
JMPA
東京五輪のソフトボールで08年北京五輪から13年越しの連覇に輝いた日本。ピンチのマウンドで次々と三振を奪う“神救援”で話題をさらったのが後藤希友(みう)だ。
日本チーム最年少、20歳のサウスポーが残した印象はとにかく素晴らしかった。5試合計10回2/3を無失点、22奪三振という数字が表すように、度胸満点のピッチングがさえた。
まずは2試合目の登板となった1次リーグ第2戦のメキシコ戦。先発の上野が7回に2-2の同点に追い付かれ、なおも無死一二塁という場面でマウンドに立つと、2者連続三振などでピンチを切り抜け、延長タイブレイクの8回も3奪三振で無失点。サヨナラ勝利のおぜん立てをした。
勝てば銀メダル以上が決まる1次リーグ第4戦のカナダ戦では0-0だった7回からリリーフに立ち、7、8回をいずれも三者連続三振で抑え、またしてもサヨナラ勝ちへとつなげた。米国との決勝戦でも、6回裏の1回を無失点に抑えた。
20歳の新鋭左腕を育てた“2人の師匠”
後藤は2001年3月、愛知県生まれ。小学生の頃は春夏はソフトボール、秋冬はバスケットボールをやっていた。シュートが決まるのが楽しく、「当時はバスケの方が好きでした」と語ったこともある。
しかし、中学以降はソフト1本に絞った。中学生時代は投球練習に明け暮れ、東海学園高校ではエースとして活躍し、インターハイ準優勝に輝いた。現在は実業団のトヨタ自動車に入って3年目のシーズンを過ごしている。
そんな後藤が日本代表として東京五輪のマウンドに立ち、さらに金メダル獲得の立役者になった背景には2人の“師匠”がいる。