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「終わったな」「何やってるんだろう」 “27歳初出場で金メダル”新井千鶴の「積み上げてきたものが違う」柔道人生
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2021/07/29 17:04
金メダルを手に笑顔を見せる新井千鶴。思うように結果が出ない時期を経て、27歳でようやくここまでたどり着いた
高校3年生まで全国大会には出られなかった
うまくいくことは少なかった――。それは柔道人生そのものをも指していた。
小学1年生のとき、柔道を始めた。実は幼稚園に通っていた頃、1日入門したことがあるが怖くてその日でやめてしまった。それでも誘われて、再度入門して、もうやめることはなかった。ただ、日本代表にのしあがる選手としては珍しく、高校3年生になるまで全国大会に出たことがない。中学時代に関東大会に出たのが目立つくらいで、そのときも優勝はできなかった。「なんで勝てないんだろう」と思い悩んだ。新井はその時代が大きかったと言う。
「ずっと地道にこつこつやってきました。なりたい自分を思い描いて、できると思い込んで。信念と言っていいと思います」
自分はできる、という一念を抱き続けた。もう1つ新井があげるのは「考える力」を培ったことだ。
「小さい頃から、指導者の方に無理にやらされるのではなく、小さいながらに強くなるためにどうしたらいいかを考えながらやっていました。練習方法を考えたり、人の練習から学んで取り入れたり」
中学時代は高校生になっていた先輩にコンタクトをとり、「一緒に練習させてほしい」と頼み込んだ。これも「自分で考える」一例だ。
「『終わったな』と思いました」
やがて芽が出る。高校を卒業し柔道の名門・三井住友海上に入社すると、各地から集った今までになく強い選手に囲まれた。はじめはその強さにひるんだが、こつこつと努力を続けた。精鋭のいる環境で自分を伸ばしていくと、入社1年目からシニアの国際大会に出るまでになり、やがてリオデジャネイロ五輪代表の有力候補と目されるようになった。
だがそれは現実とならなかった。
結果を出せばリオの代表につながる前年の世界選手権で5位に終わり、失意に沈んだ。そこから立て直せず、全日本選抜体重別選手権でも敗れ、目の前にあったはずの代表の座を逃した。
「『終わったな』と思いました」