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女子レスラーからアイドルへ…黒崎セラ(17)と沙弥(37)がステージ上で続ける“闘い”とは「形は違っても生き様を見せたい」 

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byNorihiro Hashimoto

posted2021/07/29 11:01

女子レスラーからアイドルへ…黒崎セラ(17)と沙弥(37)がステージ上で続ける“闘い”とは「形は違っても生き様を見せたい」<Number Web> photograph by Norihiro Hashimoto

レスラー「YUMI」からアイドルへと華麗なる変身を遂げた黒崎セラ

「アラフォー 歌う 踊る」で検索して…

 闘狂生存者がお披露目ライブを行なった6月19日には、もう1人の元レスラーもステージに立っていた。『乙ナティック浪漫ス』通称オトロマの沙弥だ。このライブで候補生から正規メンバーに昇格している。

 彼女はテキーラ沙弥のリングネームで、一昨年までアイスリボンで活躍していた。大晦日に引退試合を終えると団体スタッフに。スタッフになってもファンに求められて2ショット撮影会をしたり、大会のネット配信でMCを務めて「プロ一般人」を名乗った。

 スタッフとしてほぼ1年間すごしたが、体調を崩したこともあり、退職して休養。今度はバーをやろうと考えた。リングネームはテキーラソムリエの資格を持つことから。レスラーになる前にはテキーラ専門のバーを経営していた。レスラーになったのは一般向けプロレスサークルに通ったことがきっかけ。バーの仕事もずっと続けたかったが「プロレスは今しかできないから」と、3年間だけと決めてデビューした。

 その時すでに30代で、今は37歳。新しいバーは物件も見つけていたが、そこにコロナ禍がきてしまった。

「さすがにお酒を出すお店は厳しいなと。でもずっとグータラしてられない。暇なのは本当に性に合わなくて。で、やりたいことはなんだろうって考えたんです。パン屋さんとカフェっていうのもあったんですけど、歌って踊るのも夢だったなって。安室(奈美恵)ちゃんの世代で大好きだったので」

 そう考えてからの行動の早さは、いかにも沙弥らしいものだった。ネットで「アラフォー 歌う 踊る」と検索し、出てきたのがオトロマ。候補生を募集していたのですぐに応募し、数日のうちに面接をすることになった。

「本当に軽い気持ちで(笑)。募集も“挑戦してみませんか”みたいな感じなのがよかったんですよ。アイスリボンのプロレスサークルと同じで間口が広い感じがしました」

「年齢的にも苦手なことに時間は費やせない」

 ライブ中のMCからは、メンバーから絶大な信頼を得ていることが伝わってきた。レスラー時代からのSNSアカウントを使ってプロレスファンも巻き込んで告知。新曲『煌光』はアイスリボンの後輩、石川奈青の入場曲として使用されている。自分で会場側と交渉して、ソロでライブに出演することも。歌と踊りは初心者からのスタートだったが、なんでも自分で考えて、自分なりのやり方でトライするのが得意なのだ。

 アイスリボンでもそうだった。新人とはいえ20歳そこそこの選手とは違う。自分だからできる団体との関わり方があると考えていた。その一つが、若手の底上げを目的とした大会『P's Party』のプロデュース。常設会場でもある道場の近くに、ファンが集まるバーも開店した。

「プロレスの技も、若い選手と一緒に“できないこともコツコツ頑張る”のは違うなって。3年と活動期間を決めてたのもありますけど、年齢的にも苦手なことに時間は費やせない。なのでドロップキックをやらない選手でした。他に出せる技が何もなくなった時くらいしか使わなかった(笑)。苦手克服より、できることを伸ばすほうが早いなって」

【次ページ】 「“元女子プロレスラー”というのは一つの武器」

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