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【引退】35歳福澤達哉、東京五輪の夢叶わずもスマートに去る…“あの福澤が”と周囲が驚く変貌「挑戦したからこそ見える世界だった」

posted2021/07/15 17:00

 
【引退】35歳福澤達哉、東京五輪の夢叶わずもスマートに去る…“あの福澤が”と周囲が驚く変貌「挑戦したからこそ見える世界だった」<Number Web> photograph by Panasonic PANTHERS

引退会見で丁寧に言葉を紡いだ福澤達哉(35歳)。涙が溢れる場面もあったが、次のステージへ向けて希望を感じさせる笑顔を見せた

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Panasonic PANTHERS

 東京五輪開幕を9日後に控えた7月14日。

 男子バレー日本代表の福澤達哉が現役引退を表明した。

 6月21日に発表された東京五輪出場選手12名にその名はなく、集大成として挑んできた東京五輪への挑戦が終わった。

 まだできるのではないか。そんな惜しむ声を受けながら、最後は慣れ親しんだパナソニックのユニフォーム姿で福澤は引退会見に臨んだ。

「約25年、紛れもなくバレーボールは私の人生そのもの。自分の限界はどこにあるのか、それを知りたくてがむしゃらに必死でやってきました。ですが、アスリートである以上結果がすべてであり、常に評価される立場にあります。手を挙げて日本代表になれるわけでもなく、周りを納得させるだけの高いパフォーマンスを示し続けなければなりません。そこに年齢は関係なく、その時々で評価されたベストのメンバーが選ばれる。シンプルでシビアな世界だと思っています。厳しい世界の中で1年、1年、自分が信じるベストな選択、挑戦をして、ここまでやってきました。悔いは残りますが、これまでの過程において、やり残したことはありません」

大学1年で日本代表、北京五輪も経験

 中央大学1年の2005年に日本代表へ選出され、同学年の清水邦広と共に2008年北京五輪に出場。近い将来の日本男子バレー界を担う存在として注目と期待を集めた2人は、どんな苦しい時代も常に日本代表の中心であり続けた。

 清水とWエースとして挑んだ12年のロンドン五輪は最終予選で涙を飲む。同大会で28年ぶりに銅メダルを獲得した女子バレーが盛り上がる一方、男子はVリーグや国際大会でも記者や観客の数は激減。福澤も含めた選手たちが開催地の駅で大会をPRし、会場でグッズ販売もしたが、成績は振るわず、バレー日本代表史上初の外国人指揮官として招聘されたゲーリー・サトウ監督は、わずか1年で解任された。

 翌年の14年から南部正司監督が就任。長年ともにパナソニックで育んだ経験も活かして、と期待がかかるも日本代表合宿中に福澤は捻挫で離脱。同じ年のアジア大会、翌年のワールドカップで出場機会を得た石川祐希、柳田将洋が頭角を現す中、清水が主将を務めたリオ五輪最終予選の直前に再び日本代表入りを果たすも、悲願達成とはならなかった。ミックスゾーンで清水や石川、柳田の周りを何重にも記者が囲む中、離れた場所で福澤はポツリ、ポツリと言葉を絞り出していた。

「悔しいです。何もできませんでしたから」

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