酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
松坂大輔の“輝かしい全盛期と切ない故障禍の記録” 「投げまくって鍛える昭和の大投手」という一時代の終わり
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama(2)/Naoya Sanuki
posted2021/07/11 06:00
横浜高校、西武、侍ジャパン。松坂大輔の剛腕は野球ファン全員の記憶に残っている
筆者が最後に松坂のマウンドを見たのは2019年6月21日、ナゴヤ球場のウエスタン・リーグ、広島戦。先発のマウンドに立った松坂は、6回7被安打1与四球2与死球2奪三振、自責点2という結果だった。ゆったりとしたフォームは往時のままだったが、速球は140km/h出るか出ないか。キャリア後半から投げ始めたカーブで打者をしとめていた。端的に言えば「顔」で若手打者を抑えていた印象だ。
遊撃手はこの年ルーキーの根尾昂。ともに春夏連覇を経験し、甲子園の優勝投手でもあった根尾は20歳年長のこの大先輩の背中を、どんな風に見ていたのだろうか。
松坂大輔がフラッグシップだったのは間違いない
松坂大輔の引退は、ある種の「時代」の終焉を思わせる。データよりも「気力」、技術よりも「力」がモノを言った、日本野球の伝統は彼で終わるのではないか。
「松坂世代」については全く触れることができなかったが、松坂大輔が日本野球のある時代のフラッグシップだったことは間違いないだろう。
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