酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
松坂大輔の“輝かしい全盛期と切ない故障禍の記録” 「投げまくって鍛える昭和の大投手」という一時代の終わり
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama(2)/Naoya Sanuki
posted2021/07/11 06:00
横浜高校、西武、侍ジャパン。松坂大輔の剛腕は野球ファン全員の記憶に残っている
1999年、高知での春季キャンプにはファンが押し寄せ、JR高知駅のタクシーが増台される騒ぎとなった。デビューから3年連続で最多勝。松坂は10代から圧倒的な活躍をした。
WBCでの初代王者とMVP
同時に日本代表のユニフォームを着て、2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪でもエース級の働きを見せた。
さらに2006年の第1回WBCでは、3戦3勝し日本を初代王者に導きMVPに輝いた。
このオフにはポスティングシステムで、5111万ドルものポスティングフィーを西武ライオンズにもたらしてボストン・レッドソックスに入団。イチロー以来の「日本人選手ブーム」が到来する。1年目は15勝、2年目はチーム最多の18勝を挙げ、サイ・ヤング賞投票でも4位になる。
松坂は順調すぎる出世街道を歩んでいた。
真っ向勝負のMLBで松井、イチローも抑えた
筆者にとっては、MLBに移籍して、並み居る強打者を相手に真っ向勝負の直球で挑む松坂が魅力的だった。
特にタイガースの強打者、ゲイリー・シェフィールドとの対戦。体は大きくないがめっぽう鼻っ柱の強い"シェフ"ことシェフィールドは松坂に対抗心を燃やしていた。2007年5月14日の最初の対戦で、左前に落ちるポテンヒット1本に抑えられ4打数1安打だったが次の7月8日の対戦では本塁打、二塁打、エンタイトル二塁打と松坂を徹底的に叩いた。
しかし松坂は、燃えるような眼をしたシェフィールドから逃げることなくどんどん攻めていったのだ。シェフィールドには13打数7安打2本塁打、打率.538と打ち込まれたが、ヤンキースのA-RODことアレックス・ロドリゲスは26打数4安打1本塁打、打率.154、松井秀喜は14打数3安打0本塁打、打率.214、イチローとは27打数7安打0本塁打、打率.259だった。
NPBで第一人者になった松坂は「もうやることがない」状態になっていたのではないか。イチローもMLBに行ってしまったし、強打者との火の出るような勝負も少なくなった。
MLBで松坂大輔は打ち取るにせよ、打たれるにせよ、真っ向から挑んでくる大物打者との真剣勝負を楽しんでいたのではないかと思う。
2009年WBCで再びMVPと連覇、しかし……
松坂は2009年の第2回WBCにも出場し、またもや3戦3勝で日本を連覇に導き、MVPに選ばれた。
しかし彼の快進撃はここまでだった。
以後の成績を追いかける。