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「兄貴の死を境に、恐怖心を克服できたんです」野球歴”わずか3年“でプロ入りした故・大島康徳さんが闘病中に語った”死生観“ 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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posted2021/07/08 17:02

「兄貴の死を境に、恐怖心を克服できたんです」野球歴”わずか3年“でプロ入りした故・大島康徳さんが闘病中に語った”死生観“<Number Web> photograph by KYODO

1985年、ナゴヤ球場でHRを放つ大島康徳さん

「記念品は一切残っていない」

 大島さんは自らの記録には執着しない人だった。世界記録のホームランボールも含め「記念品は一切残ってない」と潔い。現役時代には衣笠祥雄さんにも「おい大島、最後は記録だぞ」と言われていたそうだが「少なくともあの頃は全くピンと来なかった」と笑っていた。

 隆さん、衣笠さんが待つ天国へと旅立ってしまった。大分弁で「負くっか」と病に立ち向かい、さりとてあるがままの人生を変えなかった。筆者にもこれを読んでいる方々にも、いつか必ず「その時」は訪れる。負けたくない、逃げ出したくないが、内心は恐ろしい。だからこそ大島さんの最期は、ぜひとも心に刻んでおきたい。

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