球道雑記BACK NUMBER
あのドラ1は今…「当時の自分をボコボコに」“二刀流”候補だった元ロッテ柳田将利、わずか3年のプロ人生で最初についた嘘とは
posted2021/07/09 11:02
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
KYODO
あるとき、SNSを流し見していると一本の動画が流れて来た。
「子供は外でおもいっきり遊べばいい」
水溜まりではしゃぐ子供の動画にその一文を添えて投稿していたのはプロ野球・千葉ロッテマリーンズの元選手、柳田将利さんだった。
2005年の高校ドラフト1位で千葉ロッテに入団した。彼が千葉ロッテを退団したのは2008年だが、そのとき以来、長らく顔を合わせていなかった。最後に連絡をとったのも2017年の冬頃。当時は名古屋のラーメン店の仕事を辞め、現在の職場で働き始めたばかりと記憶しているが、SNSを通して、家族で遊園地に行った写真や職場の仲間たちとYouTubeをはじめたとする彼の近況を見かけ、ひさしぶりに連絡をとってみようと思った。
久しぶりの対面は、昨今のコロナ禍もあって画面越しでの会話になったが、柳田さんは良い意味で当時と変わっていなかった。
「嘘つき」失敗を重ねたプロ3年間
彼がプロ野球選手として過ごした3年間、筆者はその一部始終を見てきた。しかし、当時の彼はお世辞にも褒められるような選手ではなかった。
今年で34歳になる柳田さんは言う。
「今の僕がタイムスリップをして当時の自分に会ったら、きっとボコボコにしていると思いますね」
言葉は少し乱暴だが、自身でそう語るほど、かつての彼は失敗を重ねていた。
当時、柳田さんについた蔑称は「嘘つき」だった。今も鮮明に覚えているのは、彼が退団する前の2008年の夏。膝のリハビリで病院に出掛けたはずの柳田さんが、戻り時間を過ぎてもロッテ浦和球場に帰ってこなかった時のことだ。
「どうせリハビリに行った後、どこかでプラプラしているんじゃないですか」
ある同僚の選手はやや突き放すように、そう話した。
夏が終わる頃になると「柳田はもうクビでしょ」という声も聞こえてきた。一緒に汗を流すはずの同僚からも見放されていたのだ。そしてその1カ月後、戦力外通告が発表。その決定に彼は抗うことなく、21歳という若さでプロの世界から静かに去っていった。