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松坂大輔がいたからこそ「松坂世代」は輝いた… 藤川球児「自分も苦しい。でも、松坂の苦しさは他の人とは全く違う」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/07/07 11:36
横浜高校時代の松坂大輔
それでも藤川は、やがて代名詞ともなる「火の玉ストレート」を磨き上げ、阪神リリーフ陣の柱として長年活躍。日米通算245セーブ、164ホールドという偉大な成績を積み上げた。
「時代の流れに抗う、戦う。体が苦しくても諦めない」
松坂世代のトップランナーの1人としてのプライドが、藤川を支えていた。
松坂がいたからこそ、僕もここまで……
<名言3>
松坂がいたから僕もここまで来れたのかな、とは思いますね。
(杉内俊哉/Number577号 2003年5月29日発売)
◇解説◇
高校時代から幾度となく戦ってきた同世代のライバル・松坂大輔を、杉内はこう表現した。甲子園で投げ合った2人は、2000年代にそれぞれソフトバンク(ダイエー)と西武のエースとしてもしのぎを削り、WBCの舞台では共闘した。岩隈久志、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平らに続く“パ・リーグの大エース”の系譜を担っていたのだ。
そんな松坂と杉内は、30代に入るとケガに苦しんだ。2015年、日本球界に復帰した松坂はけっきょく一度も登板できずにシーズンを終え、巨人の杉内もまたほとんど仕事ができず、オフの契約更改では4億円もの減給を受け入れた。それでも「松坂世代」のふたりは、ふたたび輝きを取り戻そうと必死に野球と向き合っていた。