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武豊、サイレンススズカの死に「泣きながら酒を飲み、人生初の泥酔をした」 知られざる“天才騎手”の素顔とは?
text by
小川隆行Takayuki Ogawa
photograph byフォトチェスナット
posted2021/07/09 11:00
大差で逃げ切り勝ちをした1998年金鯱賞は伝説のレースとなった
秋初戦の神戸新聞杯では鞍上の上村が直線で勝ちを確信、油断してマチカネフクキタルに差されてしまった。レース後、「内にもたれたのは僕の責任」と責任を取る形で上村が降板、河内洋の手綱で挑戦した天皇賞(秋)は6着と善戦。続くマイルCSでは調教過程でストレスが溜まり15着。3歳最終戦の香港国際Cで武豊に代わった。
「この馬は抑えない方がいい」と判断、馬の行く気に任せた武豊の手綱さばきでバレンタインSを圧勝すると、中山記念・小倉大賞典・金鯱賞と重賞を3連勝。特に金鯱賞は2着馬に大差の圧勝劇。武豊がエアグルーヴ騎乗で南井克巳に乗り替わった宝塚記念では、南井の「ため逃げ」で二の脚を使い、初のGI制覇を遂げた。
4歳秋初戦の毎日王冠では59キロを背負いながらエルコンドルパサーとグラスワンダーを退け、本来ならGI戦線をひた走るはずだった。「普通に走れば勝つ」と誰もが感じた秋の天皇賞で、武豊は冒頭の泥酔を味わうこととなった。
愛馬の死に涙を流す天才騎手。そのエピソードにシンパシーを覚えた。
関係者が知る武豊「あのまんまの、さわやかな男だ」
美浦の取材が多かった筆者は、武豊を取材したことは一度もない。ただ、競馬界の顔でもある武豊の評判を悪く語る関係者にも会ったことがない。
「あのまんまの、さわやかな男だ」と語った某関係者は「約束のインタビュー時間に調教が重なり、ポツリと一人で待っていたときのこと。ある厩務員に『武豊の取材? こんな時間に来るわけないじゃん』と言われ、ダメ元で待っていたら、15分ぐらいして小走りにやってきて『お待たせしてすいませんでした』と謝られてね。ジーンとした」とエピソードを話してくれたことがある。
こう言っては何だが、競馬村の人と話をすると、感覚が世間とズレている感じを受けることがしばしばある。競馬村以外の人と接点をもたないため自然とそうなるのだろうが、自分が存在する社会以外と接点をもち、異なる感覚に数多く触れることで、バランス感覚は培われる。「競馬界の顔」である武豊がまさにそうだ。
レアすぎる“馬券にチャレンジする武豊”
グリーンチャンネル「競馬場の達人」で9年前、「特別バージョン」として園田競馬場を訪れた武豊が馬券にチャレンジする姿を目にした。