テニスPRESSBACK NUMBER
“プロ転向パーティーに200人”杉山愛が46歳に 高校中退でプロに進んだ少女はなぜ「世界一」になれたのか?
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/07/05 11:02
本日7月5日は杉山愛の誕生日。日本人選手として初のWTAダブルス世界ランキングで1位となった
「下のツアーを長い間まわっていると、悪い意味で慣れてしまうというところがある。海外には用具契約すらない選手もいる中、所属契約のある多くの日本選手は恵まれていると思います。そのお金をキャリアの初期でどれだけ自分のテニス環境に投資できるかというところが大きい。そこに関しては、私は意識できていたかなと思います」
もう一つ、杉山のキャリアで特筆すべきは19歳になる年のウィンブルドンから34歳で引退する年の全米オープンまで実に62大会、グランドスラムに出場し続けたことだ。海外を嫌い、ツアーを苦にしていた伊達の姿を近くで見ていたが、杉山は早くからツアー生活になじみ、海外選手と親しく交流し、国際感覚を磨いた。それは、息の長い安定したキャリアと大いに関係があるに違いない。
「どの時代を振り返っても後悔はない」
伊達が1996年にコートを去ると、次々と引退の連鎖が起こり、日本の女子は勢いを失った。しかし落差の激しかったあの時代、杉山だけはいつも表舞台にいた。11人が出場した95年の全豪では11人の中で最年少の一人として奮闘し、日本がドイツを破った96年のフェドカップは杉山のダブルスでの大仕事なくして〈伝説〉にはならなかった。
99年の全米オープンでついに杉山は日本人女子でたった一人の出場者となったが、この大会の混合ダブルスでマヘシュ・ブパシと組んで優勝。これを皮切りに、翌年からは女子ダブルスでウィンブルドン準優勝、全米オープン優勝とグランドスラムで目覚ましい活躍を見せた。あの頃杉山がいなければ、テニスは日本の中で話題を失っていただろう。
「与えられた才能はすべて発揮できたタイプの選手だと思います。10代、20代、30代と、どの時代を振り返っても後悔はないですし、テニスのおかげで、その年代では普通経験しがたいことを経験させてもらえて、全てセカンドキャリアにもつながっている」
引退から12年。46歳を迎えた今、第2子の出産を間近に控えている。7月11日まで開催されているウィンブルドン期間中の出産も濃厚とのこと。2015年に長男が生まれた日もウィンブルドンの2週目だった。これはもう、確実に何かを持っている。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。