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“プロ転向パーティーに200人”杉山愛が46歳に 高校中退でプロに進んだ少女はなぜ「世界一」になれたのか? 

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山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byHideki Sugiyama

posted2021/07/05 11:02

“プロ転向パーティーに200人”杉山愛が46歳に 高校中退でプロに進んだ少女はなぜ「世界一」になれたのか?<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

本日7月5日は杉山愛の誕生日。日本人選手として初のWTAダブルス世界ランキングで1位となった

 プロになれば遠征費用を得るためのスポンサー契約ができるという利点があるが、17歳の杉山自身には金銭事情は大きな動機ではなかった。15歳でジュニア・ランキング世界1位になり、早くから〈世界〉にも〈プロ〉にも高い意識が向いていた杉山は、「そのときにはランキングも180位くらいになっていて、プロとして世界でやっていける自信もついていた」という。

 自身がジュニア・ナンバーワンだったとき、同い年の選手がすでにジュニアでなくプロとして経験を積んでいた現実にもいっそうの向上心を掻き立てられた。同じ1975年生まれには、95年の全豪オープンと2000年の全仏オープンを制したマリー・ピアースや、有名なマレーバ3姉妹の末っ子マグダレナなどがいるが、彼女たちは15歳の頃からグランドスラムの本戦に出場していた。

一流ホテル“17歳のプロ転向パーティー”に200人

 高校生プロの誕生は1984年に16歳でプロになった雉子牟田明子以来で、1992年11月には地元・神奈川の大磯にあるホテルでプロデビュー記念パーティーが盛大に催されている。「200名が来場した」と当時の専門誌の記事にはある。17歳が200人を集めて一流ホテルでプロ転向パーティーとは、最近ではほとんど耳にしない話だが、それが日本のホープに対する期待の大きさであり、当時の日本テニス界のムードだった。

 パーティーには5歳年上の伊達公子も出席したが、その伊達が全豪オープンでベスト4入りするのは1年あまり後のことで、さらに1年後の95年の全豪では今なお最多記録となる日本女子11人が本戦のドローに名を連ねた。まさに日本女子全盛期の夜明けのムードが、杉山のプロ転向の頃には漂っていたのだろう。

 ピアースやマレーバには少し遅れをとったが、翌1993年にはウィンブルドンで予選を突破してグランドスラム・デビューを飾り、19歳になった年の秋にはWTAランキングの100位を切った。今の日本にもジュニア世代でプロになる選手はいる。むしろ今のほうが多い。しかし、10代のうちに100位を切るような女子選手は、杉山の妹分と呼ばれた森田あゆみ以降、特殊な環境を持つ大坂なおみを除けばこの十数年出てきていない。現在は500位までに10代の日本女子は一人もいないという状況だ。

16年間、グランドスラムに出場し続けられた理由

 100位というランキングは、WTAの下部ツアーであるITFサーキットから抜け出せる目安だが、伊達が以前、「18歳でプロになったとき、そこから2年でITFを抜けられないならやめたほうがいいとコーチから言われていた」と語ったことがある。その伊達に、「いっしょに練習してもらったり、ご飯に誘ってもらったり、随分かわいがってもらった」という杉山も、同じ覚悟とハングリー精神を持っていた。

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