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100mハードル代表“ママさんハードラー“寺田明日香が、11年ぶり日本選手権優勝にも「とても複雑な心境」だったワケ
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2021/07/04 06:00
6月26日の日本選手権100mハードル決勝で優勝した寺田。11年ぶりの勝利だったが、その表情は”満面の笑み”ではなかった
31歳となった今年、寺田はさらに加速する。4月の織田記念で12秒96と日本記録を更新すると、6月の木南道孝記念で12秒87と記録更新を続けたのである。
伸び盛りにあった10代後半から20代前半の第一期を凌駕するタイムを復帰後に残してきた。陸上から長く離れたあとであるという経歴も含め、その足跡は強いインパクトを放っている。
容易になぞることができない人生を歩んできた。そしてアスリートとして競技人生で最高といえるパフォーマンスに到達している。
その軌跡を描けた要因はどこにあるのか。
1つは、そのときどきに全力を尽くし、割り切れたことだ。
2013年の引退は、はたから見れば惜しまれるものだったが、当時の状況からすれば、寺田本人にとっては必然だったろう。そこでためらわずに決めた。
やりたいと思ったラグビーも無理に長引かせ、拘泥することがなかった。中途半端に取り組まなかったからこそ、潔く再転向を決断できた。
周囲の力を得ての躍進
もう1つの要因は自分自身の考えだけに頼るのではなく、思いを共有する仲間も巻き込んできたことだ。
陸上に復帰後、寺田はコーチやトレーナーなどスタッフを集め、チームを作った。自分の考えをしっかり伝え、自分が必要とする人物を頼った。最初の引退前に所属していた元の場所に戻り、あらためて指導を受ける方法もあった。それを選ばず新たな場所でリスタートしたのは、それまでの競技経験を経て寺田自身が確固とした個を築き、視野も広く持てるようになっていたからだ。
復帰してから指導するコーチの高野大樹氏は、寺田についてこう語っている。
「話し合いながら練習をやっていますし、きちんと考え、それを伝えられる選手です」
一方の寺田は、日本選手権でこう語っている。
「今は人の力があると思います。自分だけの力じゃなくて、いろんな方々の力を借りてできています」
自分の足で立つからこそ得られた周囲の力とともに、今の寺田はある。そして、家族の力もまた、非常に心強い支えとなったはずだ。
7月1日、世界ランキングが更新され、寺田は30位に。代表入りも決まった。
初の大舞台へ、寺田はさらに加速する。