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100mハードル代表“ママさんハードラー“寺田明日香が、11年ぶり日本選手権優勝にも「とても複雑な心境」だったワケ

posted2021/07/04 06:00

 
100mハードル代表“ママさんハードラー“寺田明日香が、11年ぶり日本選手権優勝にも「とても複雑な心境」だったワケ<Number Web> photograph by AFLO

6月26日の日本選手権100mハードル決勝で優勝した寺田。11年ぶりの勝利だったが、その表情は”満面の笑み”ではなかった

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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「とても複雑な心境です」

 偽らざる思いだったろう。

 でも、成し遂げたことは、大きかった。

 6月26日、陸上の日本選手権100mハードル決勝。寺田明日香は13秒09で優勝した。

 それは実に11年ぶりの優勝だった。陸上競技でこれほどの期間が空いての優勝はこれまでになかったのではないか。

 それでも寺田が、笑顔ではあっても手放しで喜ばなかったのはタイムが理由だった。

「やっぱりここでオリンピックを決めたかったので、残念な気持ちもあります」

 日本選手権の段階で代表に内定するためには五輪参加標準記録である12秒84を切り、3位以内に入る必要があった。日本記録でもある自己ベストは12秒87。簡単ではないハードルをクリアすることが求められていた。

 世界ランキングにより出場権を得ることもできる順位につけてはいた。出場権が与えられる上位40名のうち、日本選手権の時点で寺田は36位。可能性を十分持っているとはいえ、ランキングの発表(7月1日)直前に行われる海外での大会の結果に、自身の五輪出場が左右される展開となった。自分の走りによって、すっきり決めたいという思いはあっただろう。

 自ら走り、決める――。その姿勢は寺田のこれまでの歩みともどこか重なる。

山あり谷ありの競技人生

 高校を卒業し社会人となった1年目の2008年、日本選手権で初優勝。以降3連覇を達成しその間の2009年には世界選手権にも出場するなど、100mハードルの第一人者となった。

 だが2013年に23歳にして引退を発表。世間に驚きを与えたが、怪我や摂食障害などに苦しんでの決断だった。

 その後、大学に入学し、結婚と出産ののち、再び驚きを与える。2016年、7人制ラグビーへのチャレンジを始めたのだ。有望選手を発掘する日本ラグビーフットボール協会のトライアウトに合格し、練習生という形で日本代表の合宿に参加。クラブチームでもプレーした。

 だが、その道のりは厳しく、ラグビーを断念し、2018年12月、陸上への復帰を表明。2019年の日本選手権で3位になると、8月の大会で日本タイ記録。9月には日本女子初の12秒台となる12秒97の日本新記録を出し、10年ぶりの世界選手権出場を決めた。

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