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西武ライオンズ前身球団の“消えたスタジアム”…23年前に解体&福岡市にあった「平和台球場」、今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph bySankei Shimbun
posted2021/06/27 11:03
平和台球場で行われた1990年プロ野球オールスター第2戦。落合博満(中日)が野茂英雄(近鉄)からホームランのシーン
「平和台球場」、今は何がある?
平和台球場は、舞鶴公園という福岡市中心部の公園の中にあった。まずはその公園を目指す。福岡空港から博多・天神を経てズバッと市の中心部を貫く市営地下鉄空港線に乗って赤坂駅が最寄り駅。赤坂と言っても一ツ木通りもサカスもないが、やはり九州一の大都市・福岡だ。駅から地上に出ると大きな通りにクルマがバンバン走り、その周りは立派なビルが建ち並ぶ。その中で、通り沿いの緑に覆われた一角を目指す。そこが、舞鶴公園である。
通り沿いの舞鶴公園の入り口にやってくると、平和台球場のミニチュアオブジェのようなものが現れる。ここに平和台球場があったよ、ということを今に伝える記念碑のようなものだ。やっぱり伝説の西鉄ライオンズの日本シリーズ三連覇を支えたスタジアム。今も愛されているんですねえ……。
というわけでさっそく球場跡を目指して舞鶴公園の中に入っていく。まだ6月というのに30℃を超える灼熱の中、お堀を渡って石垣の間を抜けてとぼとぼ歩く。そう、この舞鶴公園、もとはお城だったのである。その名も福岡城といい、江戸時代のはじめに黒田長政が築城した黒田氏福岡藩の藩庁だった。その跡地が公園として整備されていてそこに野球場があった、というわけだ。城跡のすぐ西側には大濠公園というアヒルボートも浮かぶ福岡市民憩いの場も広がっている。
石垣の合間を抜けて少し歩くと、一気に視界が広がった。そう、この広々とした城跡の中の草原が、平和台球場の跡地である。全体的にまあるい形をしているあたりはいかにも野球場の跡。が、それ以外には取り立てて球場だった痕跡は見当たらない。このあたりがマウンドだったのだろうかとかなんだとか考えながら草原をうろうろしてみたが、兵どもが夢の跡、ちょっとさみしい気持ちになってくる灼熱の福岡である。
なぜ平和台球場は“消えた”のか?
そんな草原の片隅に、フェンスのようなものがあるので近づいてみた。もしや往年の平和台球場の外野フェンスなのではなかろうか――中西太の打球が何度も超えた伝説のフェンスなのではなかろうか。近づくとさすがにそれとは明らかに違う安っぽい(野球場のフェンスにしては、という意味ですよ)設えだった。なんだとがっかりしたが、そのフェンスにはいくつもの説明書きのようなものがぶら下がっている。平和台球場伝説が書かれているのか。