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西武ライオンズ前身球団の“消えたスタジアム”…23年前に解体&福岡市にあった「平和台球場」、今は何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/06/27 11:03

西武ライオンズ前身球団の“消えたスタジアム”…23年前に解体&福岡市にあった「平和台球場」、今は何がある?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

平和台球場で行われた1990年プロ野球オールスター第2戦。落合博満(中日)が野茂英雄(近鉄)からホームランのシーン

 すると、その説明書きには平和台球場伝説どころかそれよりもはるか昔、古代のロマンが語られていた。なんと、この平和台球場跡の空き地、めちゃくちゃ昔に遡ると、鴻臚館(こうろかん)という施設があったというのだ。

 鴻臚館というのは、古代における外国使節の応接をするための施設である。わかりやすく言えば、元祖迎賓館といったところだ。古代、日本の玄関口は九州だったので、この福岡の地に設けられていた。ざっと平安時代、つまりは1000年以上前のお話だ。まったく、古代のロマンにもほどがある。そんなロマンあふれる場所に、平和台球場が建てられていたということだ。

 そして1987年12月(つまりダイエーホークスが平和台にやってくる前)に外野スタンドの改修工事をしていたら、スタンドの下から遺跡が見つかったのだという。詳しくそれを調査したところ、ここが鴻臚館の跡地だと判明。平和台球場で育まれた福岡人の野球愛も大事だけれど、元祖迎賓館の遺跡という歴史的な発見にはかなわない。そうしてゆくゆくは球場を取り壊し、歴史公園にリニューアルすることに決まる。つまり、平和台球場は古代ロマンの前にあっけなくその歴史に幕を閉じることになったのである。

では「平和台」という名前の由来は?

 平和台球場で行われた最後の公式戦は、1992年10月1日のダイエー対近鉄戦。

 門田博光の引退試合でもあったこの試合の先発は若田部健一と野茂英雄で、息詰まる投手戦になった。結果は1-0でダイエーの勝ち。その後は高校野球やプロ野球の二軍戦などで使われて、1997年限りで閉鎖されて取り壊し、現在の元祖迎賓館跡を前面に押し出した広場に生まれ変わった。例の説明書きのフェンス、これはどうやら球場現役時代の外野フェンスがあったあたりに設けられているから、まったく無関係ということでもないのだろう。

 せっかく古代ロマンの世界に誘われたので、そのまま鴻臚館以降の歩みをたどってみることにしたい。

【次ページ】 では「平和台」という名前の由来は?

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