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長嶋茂雄との関係「すっかり冷たいものに…」野村克也が生前に明かしていた“なぜ巨人を挑発した?”「昨日、銀座の女の子が…」長嶋と野村の会話
posted2025/06/26 11:06

1990年代、野村克也が率いるヤクルトと、長嶋茂雄が率いる巨人はライバル関係にあった
text by

阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
JIJI PRESS
ヤクルト監督時代の野村克也は執拗に長嶋巨人を口撃していた。「おかげで、長嶋との間はすっかり冷たいものになってしまった」。野村克也が生前に明かしていた長嶋茂雄への想いとは。【全2回の1回目/2回目へ】
※『最大のライバルが語る 野村克也「絶対に負けたくない敵だった」』(2013年5月9日発売、Number828号掲載)を特別に無料公開する。
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長嶋茂雄と松井秀喜がそろって国民栄誉賞を受賞した。
野球界では王貞治、衣笠祥雄につづく受賞である。ジャイアンツという人気チームでつねにファンとマスコミの大きな注目を集め、それに応えるプレーを見せてきた長嶋。その長嶋に手塩にかけて育てられ、メジャーリーグでも名門ヤンキースの中心として活躍した松井。国民栄誉賞がどんな基準で与えられるのかは、私などにはわからないが、ふたりの受賞は多くの人が納得するものだろう。
人づてに聞いたのだが、ふたりの受賞が決まったとき、「残した数字でいうなら野村にも賞を与えてよいのではないか」という声があったそうだ。私自身はとても賞に値するなどとは思っていないが、こうした声をいただけたのは名誉なことだと思っている。
野村ヤクルトvs長嶋巨人
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長嶋が監督として指揮を執り、松井がジャイアンツの中軸に座っていたのは1993年から2001年まで。これは私がスワローズ、タイガースの監督をしていた時期と重なる。
当時のジャイアンツは松井だけでなく、落合博満、清原和博など他チームの主軸をつぎつぎに獲得し、巨大戦力を作り上げていた。その巨大戦力に戦いを挑み、リーグ優勝4回、日本一3回という成績を残せたことは、私にとって大きな誇りだ。
スワローズ時代の私は、長嶋率いるジャイアンツにしばしばきびしい言葉を投げつけた。これは「絶対に負けたくない」という闘争心の表明でもあったが、同時にかなり意図した戦略的なものでもあった。