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西武ライオンズ前身球団の“消えたスタジアム”…23年前に解体&福岡市にあった「平和台球場」、今は何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/06/27 11:03

西武ライオンズ前身球団の“消えたスタジアム”…23年前に解体&福岡市にあった「平和台球場」、今は何がある?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

平和台球場で行われた1990年プロ野球オールスター第2戦。落合博満(中日)が野茂英雄(近鉄)からホームランのシーン

 平安時代の中頃までは外交上重要な役割を果たしてきた鴻臚館も、10世紀ごろになると肝心のお相手である中国の唐が衰退、戦乱の五代十国時代に突入する。そうなると日本にかまっている場合ではなくなり、外交使節の来日も激減。そうした中で、いつしか鴻臚館は廃れてしまい、草に覆われた空地になった。

 そのまま長い月日が経ち、誰もが鴻臚館など忘れていた1600年。黒田長政が関ヶ原の戦いでの功を認められて筑前一国を与えられる。当初は名島という少し離れた海の近くの城に入ったが、丘陵上に新しい城を築くことになって、福岡城が完成した(『福岡』命名もこのときである)。

 以降、福岡城は福岡藩の拠点として使われ、明治に入るとそのまま福岡県庁が設けられた。県庁が移転すると次いで陸軍の歩兵第24連隊が置かれ、つまりは軍事施設として終戦までを過ごすことになる。敗戦とともにGHQに接収されたが、ここで福岡で予定された国民体育大会の事務局長を務めた岡部平太さんという人が辣腕を発揮する。GHQ相手に粘り強い交渉を繰り広げ、「兵どもの夢の跡をスポーツによる平和の台(PEACE HILL)にする」と訴えた。これが「平和台」という名の由来であり、1948年に国体のメイン会場として平和台総合運動場が完成。そして国体後の1949年に一部を野球場に作り変え、平和台球場が誕生した。それからの歩みは、最初に書いたとおりである。

 平和台球場が1998年に解体されてから、もうすでに20年以上が経った。オールドファンは西鉄が……どころか、久々に平和台に戻ってきたプロ球団のダイエーすらもソフトバンクに衣替え。球場跡地の草原は、中西太と稲尾和久が躍動した伝説の球場、というよりは古代ロマンの息吹を感じる歴史公園になった。ソフトバンクホークスを応援している若いファンの中には、平和台球場のことを知らない人もいるかもしれない。

 だが、どんな土地にも歴史あり。古代、激動の東アジアの中で巧みに生き抜いた日本の外交の拠点となり、福岡城から歩兵連隊、そして平和を象徴するスタジアムへ。古の兵どもの情念が、西鉄ライオンズの三連覇にもつながったのかもしれない。そんな古代からのDNAを持つ平和台。百獣の王は、やはり獅子なのである。

(写真=鼠入昌史)

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