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「あの子見た目はいいけれど、試合がダメだよね」 戦闘服の女子レスラー・ジュリアの生き方と“白いベルト”への愛
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/06/28 11:01
女子レスラー・ジュリアが批判を恐れず自分をさらけ出せる背景にあった彼女の人生とは
「あれ、私、なんで東京に来たんだっけ」
プロレスとの出会いはそんなキャバクラのいわゆる同伴だった。「最初の頃に見たのは、男子は新日本プロレスで、女子はアイスリボン。女子の試合を見た時に、自分と同じくらいの年代の子たちが、投げ飛ばされて、殴られて倒されてるのに驚いて。彼女たちが何度でも立ち上がってくる事にも驚きました」
辛かった時だったから、そんな彼女たちの姿が切羽詰まったジュリアに光を与えてくれた。
「心を打たれた。元気をもらった。私も頑張ろうって」
気づいたら「週に1回はプロレスを見ないとダメなくらい」プロレスにはまっている自分がいた。
ある日、アイスリボンの道場での試合を見ていた時に代表の藤本つかさに「プロレスやらない?」と声をかけられた。
「やりたいです!」
そう答えてしまってから自問自答するジュリアがいた。
「あれ、私、なんで東京に来たんだっけ。ヘアメイクになるんじゃなかったの? こんな大変な思いしてお金払ってきたのに。なぜプロレスやりたいと思っちゃうの? 何百万払ったと思っているの?」と自分に聞いた。
「でも、でも、待てよ、人生で道を選択できるのは後何回もない。今までいろんな仕事をして、いろんなところに行っていろいろな経験して、これが最後だと思ってヘアメイク・スクールに通ってた。なのに、藤本さんの誘いでヘアメイクに就職する自分が想像できなくなっちゃった」
思ってもいなかったプロレスへの誘いにジュリアの心は揺れた。
「見た目はいいけれど、何もできないよね」
最初はプロレス・サークルに趣味のような軽い気持ちで通った。
「前転も腕立て伏せもできない。言われた事を何ひとつできないんだけれど、それでも体を動かしました」
当時はまだ、夜の仕事も続けていて、たまにフリーでヘアメイクの勉強をしながら、プロレスにのめり込んでいくジュリアがいた。ヘアメイク学校時代の凝縮された1年間の後の「自分の中で好きな事をやれる休み時間」のようにも感じていた。
2017年7月、アイスリボンの社長から、テレビの密着をつけて10月デビューの話をもらった。テレビ的にはキャバ嬢という肩書がキャッチとして面白かったのだろうと話す。
「母親にいろいろ言われるかもしれないけど、学んだヘアメイクはいつかなにかの役に立つよね」
プロレスデビューにむけて気持ち的に迷いは断ち切った。
10月、井上貴子と組んだデビュー戦が終わった。
「辛かったですよ。正直、受け身も全くとれないでデビューしちゃった。できることはほとんどなくて。あの子ダブル(混血)で見た目はいいけれど、何もできないよね。体の線も細いし受け身もとれないし、試合がダメだよね、って言われてました」
自分で感じていたことも、言われていることも、事実だった。