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大学で「電気通信工学」を勉強→なぜかプロレスラーに→今は新日本の広報…井上亘が“波乱の人生”を語る 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byYukio Hiraku/AFLO

posted2021/06/06 11:00

大学で「電気通信工学」を勉強→なぜかプロレスラーに→今は新日本の広報…井上亘が“波乱の人生”を語る<Number Web> photograph by Yukio Hiraku/AFLO

現役時代の井上亘(2009年撮影)

デビュー戦は1999年10月10日、後楽園ホール。

 1999年10月10日、後楽園ホール。

 同期の柴田とデビュー戦を行なった。第1試合、15分1本勝負。初々しいヤングライオンのキビキビした戦いに、ファンからも温かい声援が飛んだ。

 最後はこの日のために磨き上げてきたチキンウイングアームロックで勝利を収めた。レフェリーに手を挙げられると、ファンに向かって一礼した。視線の先にはこの日招待した両親がいた。

「ウチの親は写真をいっぱい撮っていました。父にも母にも感謝の気持ちでいっぱいでした。大学で電気の分野に進んだけど、その世界を好きな人にかなわなかったし、そもそも好きじゃなかったし。病気を理由に、いろんなことに逃げていたかもしれません。いつも燃えきらない自分がいましたから。そんな僕に対して、好きなようにさせてくれました。新日本プロレスに入門したとはいえ、プロレスラーになれていなかったらもうダメ息子です。だからあの日伝統の黒パンツ履いてデビューできたことで、僕にとっては人生最高の日になりました」

 後楽園ホールのスポットライトを浴びながら、自分の未来が開けていくように感じた。

 だがそれは波乱のプロレス人生の始まりに過ぎなかった。

(後編に続く)

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