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体操・寺本明日香は重圧を背負い続けてきた ロンドン、リオに続く3度目の五輪を失ったとき涙を流して語ったこと 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byNaoki Morita/AFLO SPORT

posted2021/05/30 11:05

体操・寺本明日香は重圧を背負い続けてきた ロンドン、リオに続く3度目の五輪を失ったとき涙を流して語ったこと<Number Web> photograph by Naoki Morita/AFLO SPORT

日本女子の体操界を牽引し続けてきた寺本明日香が五輪の代表枠を外れ、補欠に回ることになった

「枠が獲れなかったら引退しようというくらい」

 その言葉の通り、日本代表を牽引してきた。

 日本代表として国際大会に出場し、好成績をあげてきたこともそうだが、何よりも、寺本は何度も日本のピンチを救ってきた。

 シニアの大会に出られる年齢に達する年になった2011年、初めて世界選手権代表に選ばれた。いざ大会では思わぬ出来事が待ち受けていた。女子団体予選で2種目を終えて迎えた跳馬で、日本の得点源として期待されていた選手が演技直前の練習で負傷したのだ。そこでこの種目には出場を予定していなかった寺本が急きょ、代役を任された。

 この大会は翌年のロンドン五輪出場権がかかる重要な大会だった。

「緊張より不安が大きかったです」

 その中にあって13.966点をマーク、田中理恵と並ぶチームトップタイの得点をあげて大きな役割を果たした。日本は5位で決勝に進出、この時点で五輪の出場権を獲得した。

 リオデジャネイロ五輪出場権をかけた2015年の世界選手権では主将を担い、団体予選6位、決勝5位で再び出場権獲得の重責を果たした。

 2019年の世界選手権もまた、危機感に包まれての大会だった。東京五輪の団体出場枠のかかるこの大会、日本は村上茉愛が負傷により団体メンバーから外れた。

「(出場)枠が獲れなかったら引退しようというくらいの気持ちで挑みました」

 重圧を背負いながら主将の寺本はチームをまとめつつ、全4種目中3種目で日本勢トップの得点をあげて出場権獲得の原動力となったのである。

羽生結弦がフリープログラムで用いた曲を

 3度目の大舞台となる東京五輪で成し遂げたい夢はあった。

「人生を語る演技がしたいです」

 集大成の舞台で渾身の演技をしようと考えていた。

 そのために決めたゆかの曲は『Origin』だった。フィギュアスケートが好きだという寺本が心惹かれたのが羽生結弦のフリーで用いた曲だ。曲や演技にとどまらず、羽生の刻んだ足跡やふるまいもまた、選曲の理由の一端だろう。

「この曲で終わりたいです」

 現状、その夢はかなわない。

【次ページ】 だからまだ、引退はしない

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