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田中碧は東京五輪“死のグループ”を「突破できないとは感じなかった」 一気にトップへ駆けあがった22歳の可能性
posted2021/05/24 06:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kaori Nishida
東京五輪を見据えた3月の強化マッチで、アルゼンチン撃破の立役者のひとりとなったのが、川崎フロンターレのMF田中碧だった。
相手の激しいボディコンタクトに動じることなくボールを散らし、自ら持ち運んだかと思えば、相手を潰してボールを奪い取った。
「後ろ(DF陣)がしっかりしていたから自分も生きた。周りのおかげだったと思います」
本人はそう振り返ったが、堂々とプレーし、的確な指示を送り続ける田中に対し、「碧に預ければ問題ない」とばかり、次第にボールが集まるようになったのも事実。周りからの信頼は、田中自身がピッチで掴み取ったものだった。
それにしても、近年の成長には驚かされる。
新人だった'17年の公式戦出場はゼロ。だが、'19年に中村憲剛、大島僚太、守田英正といった新旧代表選手が同ポジションに揃う川崎で定位置を掴むと、五輪代表選出、Jリーグベストイレブン選出と一気に階段を駆け上がった。
「日本代表になりたい、と本気で思うようになった」
「素晴らしい選手たちとサッカーができて、彼らの特徴をすべて持ち合わせた選手になりたいと素直に思った。それに代表に選ばれるようになって、世界は広いことを知った。それで、世界で対等にやれるようになりたい、日本代表になりたい、と本気で思うようになったんです」
東京五輪の対戦相手は南アフリカ、メキシコ、フランスに決まった。「死のグループ」との見方もあるが、田中の考えは違う。
「突破できないとは感じなかったですね。今まではサバイバル感が強かったけど、全員が勝利のためにプレーする集団になってきたので」
チームの目標はあくまでも金メダル。その先にある自身の可能性についても信じている。
「自分はもっと遠いところまでいけるんじゃないかなって。誰も見たことのない世界を見たいし、それが可能だって、信じていたいんです」
田中碧Ao Tanaka
1998年9月10日、神奈川県生まれ。さぎぬまSCから小3で川崎Fの下部組織に加入。'17年にトップ昇格、翌年J1デビューし'19年に定位置を掴んだ。同年から五輪代表に選出され、A代表も経験した。180cm、74kg。