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やんちゃでケンカに明け暮れ、高校1カ月で退学の男がカズとW杯へ… 日系ペルー人3世・森岡薫の人生を変えた“21歳の個サル”
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byYUTAKA/AFLO SPORTS
posted2021/05/09 17:01
フットサルW杯メンバーになった当時の森岡薫と三浦知良
「カズさんと僕、(準備期間が)1カ月半しかない2人が入って、4年間やってきた2人が抜ける。僕にとってはすごいプレッシャーだった。4年間みんながやってきたことをできるだけ覚えて、1カ月半で結果を出さなきゃいけない。でも、やっぱりなかなかうまくいかなくて……」
「実は俺、辞退しようと思ってるんだよね」
ワールドカップ直前の10月下旬、日本代表はブラジル、ウクライナを招いて壮行試合を行った。8000人を超えるのファンが駆けつけた代々木第一体育館では史上初めてブラジルと引き分け、旭川で行われたウクライナ戦は3-1で快勝。だが森岡はこの2試合について、自分が出場したかどうかの記憶すら曖昧だという。
「もう上がりすぎちゃって、ほぼ覚えていなくて。だから多分、全然できていないんですよ、活躍も何も」
ワールドカップの開催地タイに出発する前夜。思いつめた森岡は成田空港のホテルから妻に電話し、「実は俺、辞退しようと思ってるんだよね」と伝えた。
「活躍する自信がなくて、4年間ずっとやってきた選手に申し訳なくて。国を背負って戦う自信がないし、日本を裏切りたくない、がっかりさせたくないからって、ちょっと逃げちゃってたんですよね。そういう話をしたら、説教食らっちゃって。『6年間かけていろんな思いを経験して帰化したのに、たかが2試合うまくいかないからってやめるの?』って言われて」
同じフットサル選手であり、日本代表としてプレーしていた妻・寛美さんの叱咤激励もあり、「もうここから脱走して、フットサル界からいなくなろう」と考えるほど追い詰められていた森岡は、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
ワールドカップで「ぶち当たった」世界の壁
そしてタイ入り後は気持ちを切り替え、腹をくくってプレーに専念。ポルトガルとのグループリーグ第2戦では代表初ゴールを含む2ゴール1アシストを記録し、1-5から5-5の引き分けに持ち込む立役者となった。
こうした森岡の活躍もあり、日本は目標だった初の16強入りを実現。自身は3-6で敗れたウクライナとの決勝トーナメント1回戦でも2ゴールを挙げ、「初めて世界の壁にぶち当たった」というワールドカップを終えた。
ウクライナ戦後、悔し涙を流す仲間たちを尻目に、森岡は大会前の弱気が嘘のように晴れ晴れとした気持ちに包まれていた。帰化するまでに過ごした長く苦しい歳月も、代表入り後に感じた重圧も、全てが報われた瞬間だった。
「清々しい感じだったんですよ。すっげー面白かったなこの大会っていう感じで。負けた悔しさもあったけど、悔しい気持ちよりも大きかったのは、もう一回ここで挑戦したいっていう気持ちでしたね」
Fリーグ9連覇直後、まさかの戦力外通告
夢の舞台を経験した後も、森岡は日本フットサル界の頂点に立ち続けた。2014年のAFCフットサル選手権では宿敵イランとの決勝をPK戦の末に制し、2連覇を達成。名古屋ではチーム、個人共にタイトルを独占し続け、充実した状態でワールドカップイヤーの2016年を迎えた。
しかし、この2016年が大きな転機となる。
Fリーグ9連覇を成し遂げた直後、森岡は名古屋からまさかの戦力外通告を受けた。
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