スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
やんちゃでケンカに明け暮れ、高校1カ月で退学の男がカズとW杯へ… 日系ペルー人3世・森岡薫の人生を変えた“21歳の個サル”
posted2021/05/09 17:01
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph by
YUTAKA/AFLO SPORTS
森岡は日系ペルー人2世の父、ペルー人の母を持つ日系ペルー人3世で、ペルーの首都リマで生まれ育った。サッカーとの出会いは近所の路上。歳上の兄貴分たちに交じり、日が暮れるまでストリートサッカーに明け暮れる少年時代を送った。
「リマって裕福な地域、普通の地域、貧しい地域の3つに分かれていて。僕は普通のところで生まれたんだけど、ストリートでサッカーをやっているのは裕福ではない人たちが多かった。裕福だとどこかのクラブチームに入ったり、アカデミーに入ったりする。僕はそうじゃなかったし、ストリートでやることが一番楽しかった」
ストリートで磨いた才能は11歳の時に出場した全国大会で注目を集め、クラブチームのスカウトも受けた。だが当時のペルーは深刻な財政危機に伴い治安が悪化しており、程なく森岡は母国を離れることになる。父方の親戚を頼り、家族で日本に移住したのは1991年、12歳のことだ。
言葉も分からず、友人もいない異国での生活は楽ではなかった。しかも移住した2カ月後には両親が離婚し、母親は末っ子を連れてペルーへ帰国してしまう。3兄弟の長男である森岡は次男と共に日本に残り、父親の仕事の都合で引越しを繰り返す生活が続いた。
「親父が出稼ぎだったので、仕事がなくなれば新たに仕事を求め、違う地域に行ったりしていた。僕と弟はそれに従って動くだけ。せっかく友達ができたのにまた引越し、またゼロからのスタートっていうのが嫌だったけど、親父も一人だし、あんまり嫌な顔をしたくないなっていうのはありました」
4度目の転校先で不良グループと付き合いはじめ
このような背景の下、大好きなサッカーからも遠ざかっていた森岡は、4度目の転校先で不良グループと付き合うようになる。
「親のせいにしたらよくないですけど、コントロールしてくれる人がいなかったんですよ。親父は仕事に行っていて、お母さんはペルーに帰国してしまったので、自由な時間がありすぎて。僕も友達を作るにあたって、少し逸れた方の道に行って。下校した時に、ガラ悪そうな同じ中学校の子から声かけられて、一緒に帰ろうってなったのがきっかけでしたね。自分の意思の弱さでそうなってしまったんですけど」
この頃から、森岡は有り余るエネルギーをケンカで発散するようになった。