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19年前“無名の18歳”長谷部誠を知る先輩たち…浦和レッズ「黄金時代」山田暢久、永井雄一郎、田中達也は今何をしている?
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2021/05/08 17:03
高校卒業後、2002年~07年まで浦和レッズでプレーした長谷部誠
浦和時代の永井は長髪をなびかせタッチラインを疾走し、ゴールを決めれば感情を爆発させた。と同時に、ベンチに座らされ、試合に出る機会を与えられなければ、たとえチームが優勝を決めてもさほど喜びもしなかった。
ある意味でとても自己中心的で難しい若者だった彼が(まあサッカー選手なんてみんな難しいんだけど)42歳になった今、こんなセリフを熱く口にする。
「42歳でも現役でやらせてもらっているというところに関してはもっと突き詰めたいし、ちゃんとその経験や学びを理論だてて、下の子たちにも還元していかないといけないです」
人はみんなちゃんと大人になる。
J2の田中達也が思い出す“無名の”長谷部誠
そして、田中達也。その切れ味鋭いドリブルとサッカーに対する情熱で、サポーターの中では一際人気者だったスーパータツヤは、J2のアルビレックス新潟で現役を続行中である。『心を整える。』の中にも出てくるが、田中達也は浦和レッズ時代長谷部が最も仲良くなった選手だった。
「あいつね、ああ見えてすぐにキレますから。練習でシュート外して、下手すぎだろってからかわれても、言葉の使い方間違えて、馬鹿じゃね?って突っ込まれても、すぐ怒り始めるんです」
年齢もほぼ同じの旧友が今でもブンデスリーガの第一線で活躍している。仲良しであるが故に、その存在は昔も今も強烈に意識する。
「ハセがオレのことどういうふうに思ってるかは知りません。あいつのいるレベルとオレのいるレベルが全然桁違いなこともわかってます。でも、ハセは自分がプレーしている活力というか、あいつがやってるならオレはまだ負けれねえわ、辞めれねえわ、っていう気持ちは常に持ってますよ」
それぞれが思い出す、長谷部誠とはどういう若者だったのか? 答えは三人三様、もしかするとそれは皆さんの知らない長谷部誠だったりするかもしれない。
そうそう、一つ思い出した。
あれは2011年の9月、ウズベキスタンのタシュケントで行われたワールドカップ予選だった。日本は前半に先制され、後半に追いつき、試合は1-1の引き分けに終わった。ウズベキスタンは手強い相手だったが、日本は勝ちに行って引き分けた、そんな試合だった。
試合終了後、やや視線を下に向けて歩く選手たちの先頭に立って、スタンドの片隅で応援してくれていた日本人サポーターたちのところへ向かう長谷部キャプテン。その前に立ち塞がって写真を撮ろうとする僕たち日本人カメラマンに向かって、彼は珍しく激しい口調で、手のひらを左右に大きく振りながら、「どいて!どいて!」と叫んだ。
ああ、だから彼は仲間から信頼されるんだな、怒鳴られながらそう感心した記憶がある。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
ドイツで14季目を闘うフランクフルトの長谷部誠。欧州の第一線で戦い、周囲から認められ続ける男の「真価」はどこにあるのか。Number1026号「長谷部誠は知っている」では、本人のロングインタビュー、Mr.Children桜井和寿とのスペシャル対談、内田篤人と岡崎慎司のぶっちゃけ後輩対談など、あらゆる角度から「長谷部スタイル」とでも呼ぶべきサッカー人生に迫っています。