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【NHKマイルC】グレナディアガーズと中内田師の特別な縁 「フランケル産駒はいつかやりたい」と思っていた理由とは
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/05/08 11:00
7番人気の朝日杯FSを制したグレナディアガーズと中内田師には、ある縁があった
「走るけど、クセの強い馬」エンパイアメーカー
2002年には「走るけど、クセの強い馬」の調教を任されるようになった。
「指示に反抗して止まってしまうような馬で、自分も最初はブレーキをかけられました」
どうすれば走ってくれるか頭を悩ませ、色々な手を打った。そのうち、ある1つの手掛かりを掴んだ。
「あえてステッキで叩かないようにしました。根気よくそういう乗り方を続けていると、止まらずに走ってくれるようになりました」
それがケンタッキーダービーで1番人気に支持される事になるエンパイアメーカーだった。
「ケンタッキーダービーは2着に負けてしまったけれど、その後、ベルモントSを勝ってくれました。アメリカのクラシックレースを勝てたのは自分にとっても大きな自信になりました。こんな経験をさせてくれたボビーには感謝しかなかったですね」
アドマイヤコマンドの青葉賞とダービー
06年に帰国し、11年ぶりに日本で暮らすようになると、すぐに競馬学校に入学。翌07年4月から栗東・橋田満調教師の下で働いた。
「橋田先生はスタッフの意見に耳を傾けてくださる方で、私も結構やりたいようにやらせていただけました」
例えばこんな事があった。
「新馬を勝って毎日杯で2着したアドマイヤコマンドが青葉賞に挑戦した時(08年)、『きっちり絞りたいので今度は少し強めに調教をさせてほしい』と進言しました。先生は黙って頷いてくださったのでそうしたところ、レースでは前走比マイナス12キロで勝つ事が出来ました」
もっともこれは成功例ではない事に後に気付いたと続ける。
「こうして出走権を得たダービーでしたが、7着に負けると、反動が出たのかその後はしばらく使えなくなってしまいました」
この事で橋田師に責められるような事はなかったが、だからこそ「もっと責任感を持って馬に接さないと」と強く思うようになったと言う。