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両脚疲労骨折から復活…五輪内定・伊藤達彦、“らしくない”レース運びのワケ 「五輪では相澤晃に絶対に負けたくない」
posted2021/05/04 17:04
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Asami Enomoto
人生とは分からないものだとつくづく思う。
高校で競技に見切りを付けて今頃は調理師になっていたはずの男が、熱烈な勧誘を受けて大学でも競技を続け、あれよあれよとチームのエースに成長。社会人2年目にはオリンピック代表にまで上り詰めることになるのだから。陸上競技を続ける道を選んだ5年前、当時の伊藤達彦(Honda)自身も、こんな未来が待っていようとは思ってもいなかったのではないだろうか……。
もっとも、五輪への道は決して生易しいものではなかったが。
年が明けてウォーキングすらままならない状態に
「正直あきらめていた」
5月3日、日本選手権10000mで東京オリンピック代表を決めた伊藤は、レース後のインタビューでこんな言葉を口にした。
昨年12月の日本選手権では、相澤晃(旭化成)に敗れ即内定とはならなかったものの、終盤まで相澤と競り合い、東京オリンピックの参加標準記録を突破。オリンピック出場にあと少しで手が届くところにまで近づいた。
しかし、好事魔多しとは、こういうことを言うのだろう。勝負の年を迎えて早々、悪夢を見せられることになる。
元日のニューイヤー駅伝のレース中に、両脚の大腿骨を疲労骨折。さらには、右脚のハムストリングスの肉離れにも見舞われたのだ。
4カ月後に日本選手権が迫っているにもかかわらず、走ることはおろか、ウォーキングさえもままならず、焦りばかりが募った。
「1カ月ぐらいで治るかなと思っていて、2月の頭からジョグをし始めて、と計画を立てていたんですけど……」
そろそろ復帰できる頃かと思ってMRIをとると完治しておらず、医師からは“まだ走れない”ことを言い渡された。さすがに、伊藤も「心が折れた」と言う。