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“将棋めし”の元祖、鳥取砂丘以外でも全裸、長嶋茂雄と大の仲良し… “49歳で最年長名人獲得”の米長邦雄伝説が濃すぎる
 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byNoboru Tamaru

posted2021/05/04 11:02

“将棋めし”の元祖、鳥取砂丘以外でも全裸、長嶋茂雄と大の仲良し… “49歳で最年長名人獲得”の米長邦雄伝説が濃すぎる<Number Web> photograph by Noboru Tamaru

(左から)米長永世棋聖、知人の中原伸之さん、長嶋さん、夫人の明子さん

文春で「泥沼流人生相談」、写真誌で全裸

 米長は一九八〇年代半ばの頃、『週刊文春』で「泥沼流人生相談」を連載した。定年後の生活、会社内の人間関係、夫婦生活、恋愛の悩み、大学受験、子どもの教育など、読者のさまざまな質問に対して、快刀乱麻を断つような明快さにユーモアを交えて、ずばりと答えた。一般の読者に好評だったが、著名人にも愛読者がいた。

 作家の井上光晴さんに米長を紹介されて親しくなった作家の瀬戸内寂聴さんは、「米長さんは、ほかの世界のことをよく知っていますし、人生の機微にも通じています。だから私は米長さんのファンです。人生相談の記事はいつも読んでいます」と語った。

 ある一例を紹介する。「二十六歳の若妻です。恵まれた家庭にありながら、ある男性に心を引かれ……」という相談に、米長は「不倫をするなら、絶対に夫にばらしてはいけない。それに、口の堅い相手を選ぶこと。私なら口の堅さは保証します」と答えた。それは、米長自身が実践している男女関係でもあったようだ。

「砂丘を裸で走り回って気持ち良かった」

 一九八五(昭和六十)年十月下旬。写真誌『フォーカス』に、米長が鳥取砂丘で全裸の姿で横向きに立っている、衝撃的な写真が掲載された。実は、十月中旬に指導対局の仕事で鳥取に行き、翌日に飛行機で帰京する前に鳥取砂丘に寄ったもので、当然ながら当初は普通の背広姿だった。そのうちに突然、米長がすべての衣類を脱ぎ捨てると、同行したカメラマンがシャッターを切った。

 米長は後日、「砂丘を裸で走り回って気持ち良かった。中原さんが生まれた土地で、裸で挑むという心境でした。こんなことができるのは、四十歳が限度でしょうね」と語った。なお、中原の公式の出生地は宮城県だが、実際には生後四十日だけ鳥取県にいた。

 砂丘で裸になった日から数日後、米長十段が中原名人の挑戦を受ける十段戦が始まった。そして、米長が四勝三敗で十段位を防衛した。

 米長が鳥取砂丘で裸になったのは四十二歳のときだった。しかし、それは最後ではなかった。

【次ページ】 無冠を返上したうれしさのあまり……

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