野球のぼせもんBACK NUMBER
「今も苦しんでいる人がいる…」ホークス和田毅“40歳で20年ぶり勝利”なのに…歯切れが悪かった事情
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKYODO
posted2021/04/21 17:25
4月14日、オリックスに勝利しポーズをとるソフトバンクの和田(左)と松田
「九州のチームとして、なんとか今日は勝ちたいと思っていました。今も苦しんでいる人たちがいる。その中でどれだけの人が野球を見てくれているか分からないけど、もしも見てくれている人がいて、今日ホークスが勝って良かったなと少しでも思ってくれたのならば、僕は嬉しく思います」
試合後のお立ち台でも、和田はアナウンサーにその話題を振られる前に自分から熊本地震への思いを口にした。
ヒーローインタビューは選手の生の声を聞くことの出来る貴重な場ではあるが、大体は予定調和のようなやり取りが続く。選手自らが発信する場合は笑いを誘うパフォーマンスばかりだ。
この日の和田のように、想いを発信する選手はなかなか見られない。
その心意気に、熊本生まれの筆者もスタンド記者席でメモを取りながらグッとくるものがあった。
大粒の涙を流した内川
5年前、熊本地震で最初の震度7に襲われた翌日の試合。内川聖一が被災地を思ってヒーローインタビューで大粒の涙を流した。4月16日未明に2度目の震度7が発生して同日の試合は中止となった。翌17日に行われた本拠地福岡での試合では、それまで開幕から16打席凡退していた吉村裕基が3点ビハインドの9回裏2アウト一、二塁で代打として打席に入り起死回生の同点3ランを放つと、延長12回裏には左翼席へ2打席連発となるサヨナラ2ランを運ぶ奇跡のようなドラマを見せてくれたことがあった。
「地震はショックだった。打てないぐらいの自分の悩みなんて小っちゃいこと。どうこう言っていたら駄目だなと。いろんな苦しみを持って闘っている人がいる。自分がやれることをしっかりやろう、と心に決めて打席に立ちました」
あの時、そう話した吉村は現在、熊本を本拠とする独立リーグの火の国サラマンダーズで選手兼任コーチとしてプレーしている。先日、4月16日に熊本・リブワーク藤崎台球場で行われた試合で決勝の逆転2ラン本塁打を放ったのも運命的なものを感じさせた。
工藤監督も「僕らは忘れていない」
ホークスは球団、選手会、選手個人としても、多岐にわたって復興支援活動を継続させている。球団は地震発生直後に「熊本・大分地震災害復興支援プロジェクト」を発足させ、そのスローガンを「ファイト!九州」としてユニホーム右袖へのワッペン着用を現在も行っている。2016年にはシーズン真っ最中の7月、球団と選手会で協力をして主力選手9人と工藤公康監督が震源地に最も近く被害が甚大だった熊本県益城町を訪れた。
また、毎オフごとに復興支援を目的とした野球教室を複数の選手たちが行っている。和田はそれに積極的な選手の一人で、同級生でかつてチームメイトだった巨人の杉内俊哉コーチと一緒に熊本の子どもたちへ支援をしている。熊本では2020年7月に県南部の人吉市などで大規模水害も発生。同年末には同地を訪れて野球教室を行い、仮設住宅にも足を運んだ。
工藤監督も常々このように話す。