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クラシコがモメた日… フィーゴの“炎上”に怯えたセスク、モウリーニョに“目つぶし”された名将の本音とは<写真で回想>
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/04/10 17:04
懐かしのグアルディオラ監督vsモウリーニョ監督。バルサvsレアルの「エル・クラシコ」はいつの時代も刺激的だった
フィーゴが経営者となっていたバルセロナの日本食レストランのガラスが割られ、聖地カンプノウに初めて「マドリーのフィーゴ」が登場すると、「裏切り者よ、地獄へようこそ」など10万人の罵声、そして豚の頭が飛ぶことになったのである。
冒頭の言葉はバルサのカンテラで育った若きセスクが、フィーゴに対する憎悪を目の当たりにした恐怖心である。バルサというチームに対する愛情の深さゆえ、それが裏切られたときの憎悪は増幅したのだった。
エトーが憎しみを込めて歌ったワケ
<名言2>
マドリー、くそったれ、チャンピオンに挨拶しろ!
(サミュエル・エトー/Number864号 2014年10月16日発売)
◇解説◇
「禁断の移籍」として取り上げられがちな両クラブ間の移籍だが、どちらかと言えばフィーゴのように「バルサ→マドリー」のパターンの方が大騒ぎになる印象が強い。その中で「マドリー→バルサ」で物議を醸したのはカメルーンが生んだ俊足の点取り屋、エトーである。
マドリーの下部組織で育ったエトーは将来を嘱望されながら、15歳から18歳まで3年半の間でリーガで3度しかプレー機会を与えられなかった。その後マジョルカでアフリカ最優秀選手に輝くなど、ブレイクの兆候を見せ始めていたが、当時「銀河系軍団」の絶頂にいたマドリーは買い戻す意思を全く見せず、バルサ移籍をあっさり認めた。
迎えた2004-05シーズン、エトーの反骨心が爆発する。04年11月20日のクラシコデビュー戦、ロベルト・カルロスとイケル・カシージャスが“お見合い”した瞬間を見逃さず、無人のゴールに叩き込んだ、
「リベンジの思いなんてなかった。良いプレーをして勝つことしか頭になかったよ」
試合直後はこう殊勝に語ったエトーだが、翌年5月のリーグ優勝報告会で古巣をバカにする歌詞を歌ってしまったのだ。その翌日にライカールト監督と謝罪会見に臨んで「今自分がバルセロナにいるのはマドリーがスペインに連れてきたおかげ」とコメントしたが、どちらが本音かは……というところか。