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25歳で「クビになる可能性」を意識した脱臼から復活… 関根大気が“DeNAの粘り役”になれたワケ【3月に入籍】
text by
石塚隆Takashi Ishizuka
photograph bySankei Shimbun
posted2021/04/12 11:02
関根大気はDeNAで生き残るため、日々努力し続けている
中畑監督時代には“グリーンライト”だった
2013年のドラフト会議で5位指名されると、高卒新人選手としてはただひとり春季キャンプの一軍メンバーに抜擢された。
さらに2年目の2015年には早くも開幕一軍入りし、巨人との開幕戦では9回に代打で登場し、プロ初となる本塁打を放った。これは開幕戦における代打本塁打としては史上8人目の快挙であり、プロ初本塁打で記録したのは関根が初めてのことだった。
接した誰もが口をそろえて言う真面目で誠実な性格。小柄な体に秘めたパンチ力と当時の中畑清監督からグリーンライトを与えられた走力。ひと足先に台頭していた2年先輩の桑原将志とともに、将来的に1、2番を任せられる外野として、夢を持つことのできる選手だった。
だが、それから5年以上、簡単に野球の神様は微笑むことはなかった。
「いろいろなことがありましたね」
関根は目線を遠くにしみじみと言った。その後はレギュラーを獲得することができず、多くの時間をファームで過ごすことになった。一軍に帯同されても代打に始まり守備固めや代走が主な役割だった。自分の目指すバッティングスタイルがアジャストしなかったことや、またケガも少なからずあり、運命の扉は開きそうでなかなか開くことはなかった。
ファームで抜群の成績を残すが脱臼の悪夢
もどかしさを抱えながらも野球に対し前向きに精進した日々、2018年のオフには野球が盛んなドミニカ共和国を探訪し現地の空気に触れ、さらに翌オフにはメキシコのウィンターリーグで実際にプレーし"野球の本質"を体感するなど自己改革を促していく。そんな関根の心の奥底に常にあったのは"克己心"だ。
「ファームにいるときは正直、数字を出すことを徹底していました。何かあったときに呼ばれるのは一番の数字を残している選手ですからね。まあ、とにかく絶対に見返してやろうと思ってプレーしていましたし、その気持ちは今も変わりません。悔しいという思いを忘れず、ここまで1日1日を無駄にしてこなかった自負はありますし、試合の打席数が減るということも経験しつつ、任された打席は大切にすることを心掛けてきました」
自分よりも若い選手にチャンスが与えられ力を伸ばしてきているなか、関根は2019年シーズンにファームで打率.329(リーグ2位)、OPS.946(リーグ1位)の高アベレージをマークする。
いよいよ真価を発揮すべく2020年シーズンに期待を寄せたが、コロナ禍でスタートが遅れたことに加え6月24日のファームの試合で、ランナーとして一塁帰塁の際に右肩を脱臼し、担架で運ばれグラウンドをあとにしてしまう。痛すぎる負傷。これが要因となり、関根は昨シーズン、チームの外野手としてただひとり一軍に呼ばれることはなく、プロ入りして初めて一軍登録を逃している。