濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
女優でレスラー・なつぽいが“白いベルト”中野たむ戦で見せた「呪い」の感情 泣き顔で連続ビンタ、水かけ、顔面蹴り...
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byMasashi Hara
posted2021/04/08 11:00
なつぽい(右)はかつてタッグを組んだこともある中野たむへの複雑な思いを抱えながら試合に挑んだ
「女優になりたいのになんでプロレスなんか」
同じ日本武道館大会で、なつぽいは参戦当初から目標にしていたハイスピード王座を獲得した。その日のメイン、選手として負けているつもりなどまったくなかった「たむちゃん」が白いベルトを巻いてメインを締めた。なつぽいはもともと白いベルトを狙っていたが、これで「ただベルトがほしいというだけのことではなくなった」と言う。
なつぽいにしても、単なる“アイドルレスラー”ではなかった。プロレスに向ける熱意は誰もが認めるところ。アクトレスガールズ自体がナメられがちだったから、余計に努力するしかなかった。
団体初期、芸能界からプロレスに挑戦することへの抵抗、偏見は今以上に強かった。「二足のわらじで何ができる」、「二兎を追うものは一兎をも得ず」、アクトレスガールズの選手を「アイドル崩れ」と揶揄する他団体のレスラーもいた。女優の世界でも「女優になりたいのになんでプロレスなんかやってんの」と言われた。
「だから他団体に上がらせてもらう時は“試合で分かってもらうしかない”っていうのがアクトレスの選手全員の思いでした。選手としてはもちろんまだまだ。技術も足りないし勝てるかどうかも分からない。でも最後まで気持ちだけは折れずに向かっていく。そういう試合をしようって。1試合ずつ、1人ずつ分かってもらう感じです、もうしらみつぶしじゃないですけど」
「プロレスをやってないと精神的に不安定になるくらい」
実はなつぽいには“女子プロ保守本流”の血も流れている。アクトレスガールズでは堀田祐美子の指導を受けた。出稽古に行ったのは井上京子率いるディアナ。伊藤薫にプロレスの基礎から教わったという。この3人は現在に至る女子プロレスの流れ、文化を作った全日本女子プロレス出身だ。
東京女子プロレスにレギュラー参戦していた時期、なつぽいの“ザ・女子プロレス”な闘いはひときわ目立った。東京女子はDDTグループであり試合も独自路線。技術的にはアメリカンプロレスにつながる男子インディーの流れが色濃いと言われる。そんな中でなつぽい、当時の万喜なつみが言っていたのは「私は“日本の女子プロレス”を大事にした試合をしていきたい」ということだった。
「昔の女子プロレスを経験した人たちはやっぱり凄いなと思います。人生すべてをプロレスに注ぎ込んで。伊藤さん、堀田さんから教わったのは、とにかく気持ちで闘え、心のプロレスをしろと」
2018年にアクトレスガールズを退団し、翌年から東京女子を主戦場に。常にテーマは芸能活動とプロレスの両立だった。だがレスラーとしてキャリアを重ねるにつれ、プロレスへの思いが強くなっていった。
「自分の中でプロレスがどれだけ大きいものか、芸能活動でプロレスから離れた時に凄く感じるんですよ。プロレスをやってないと精神的に不安定になるくらい。ましてプロレスができる時間は限られている。今は自分の人生をすべてプロレスのために費やしたいなって」
そんな思いからスターダムに移り、リングネームも変えた。業界最大の女子団体は試合数も多く肉体的にはハードだが、それこそ彼女が求めたものだった。