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野球界の迷信? 「サウスポーvs左打者=投手が有利」はウソだよ…私が“伝説の左腕”安田猛から教わった話
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKYODO
posted2021/03/12 17:45
2月20日胃がんのため自宅で亡くなった安田猛さん。通算成績は358試合で93勝80敗17セーブ、防御率3.26
「おお、加藤なあ。スカウトしとった時に獲ってもらったサウスポーよなぁ……」
獲ってもらった……その言い方がちょっと気になった。
ヤクルト投手・加藤博人、1987年に千葉・八千代松蔭高から入団したサウスポーだ。一時はローテーションの一角としても活躍し、現役を退いたあとは指導者も経験した。
「背はまあまああった(180cm)けど、60キロあるかないかのヒョロヒョロよ。真っすぐなんて、130キロやっとぐらいで、チームでもせいぜい4番手か5番手。それが、とんでもないカーブ投げてなぁ。『あのカーブを獲ってください』って、ドラフト外で獲ってもらってな。あれが働いてくれたからよかったけど、あんた……」
それ以上は、豪快な笑い声の中に溶かし込んだ。
松井秀喜(元ヤンキース)が巨人の4番バッターでブイブイいわせていた頃、この痩身のサウスポーのカーブが、スポッと抜けてゴジラ松井のヘルメットを直撃するかと思ったら、そこからストーンと落ちて、ストライクになったから驚いた。
首をすくめて、後ろを向くようにその“魔球”を避けた松井選手。幻でも見たかのように、茫然としていたのを今でも覚えている。
「サウスポーは、左バッターのインコースと、切り札になる変化球よ。どっちもなかったから、A君はどこにでもおるって言ったまで。それだけのことよ」
確か、その時も安田さんは杖をついておられたと思う。膝がよくないと聞いたように思うが、晩年は病気との闘いだったとあとになって聞いた。
170cmあるかないかのズングリしたユニフォームで堂々のマウンドさばき。何がそんなにすごいのか、当時の私にはわからなかったが、王貞治でも長嶋茂雄でも、バッサリ斬ってとった痛快なピッチングは、160キロ近い快速球を投げながら、ちょこちょこやられてしまうエース・松岡弘投手より、よほど頼もしく見えていた(失礼!)。
話してくださったことは、もっとあったかもしれないが、「天下の安田猛」の前でメモをとる余裕などなく、お姿が見えなくなってから、手持ちの紙にあわてて必死に書き留めたものだ。
きっと、ご本人、伝え残しておきたかったこと、もっともっとあったはずだ。私のような者にでも、わかるように話をしてくださる方だった。(こういう言い方は失礼かもしれないが)もったいない野球人が、この世を去ってしまった。