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「7年間、毎日のように人種差別用語を」TikTokで大人気“レミたん”が明かす過去と“強いメンタル”【ハンドボール日本代表】 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byYukihito Taguchi/JHA

posted2021/03/10 11:03

「7年間、毎日のように人種差別用語を」TikTokで大人気“レミたん”が明かす過去と“強いメンタル”【ハンドボール日本代表】<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi/JHA

ハンドボール日本代表で主将を務める土井レミイ杏利。TikTokでは190万人のフォロワーを抱えている

失意の引退をきっかけに渡仏

 今年1月の世界選手権でハンドボール日本代表は24年ぶりとなる予選ラウンド突破を果たした。そのチームを2019年6月からキャプテンとして牽引している土井だが、実は、膝の怪我で大学卒業と同時に一度、引退した過去がある。

「それまでの人生はずっとハンドボールにかけてきましたし、その後もハンドボールで生きていくものだと思っていました。人生の80%を失ったような感覚で、本当につらかった」

 失意の中、将来を見据えて語学留学で渡ったフランスで、不思議と痛みが消えたという。その理由は本人も未だ分からない。病院にも行かなかった。

「詳細が分かってしまうと、ストーリー的に美しくなってしまうので、ロマンティックなままの方がいいかなって(笑)。僕はフランスで生まれているので、ワインとパンが(膝を)治してくれたんじゃないかな」と当時を笑い飛ばす。

 その後、地元クラブの練習に参加させてもらうようになったが、「世界のトップを目指してプレーする」という思考には及ばず、「あくまでも趣味程度」。帰国が近づいていた1年の留学期間を終えたころ、プロ契約の打診を受け、「本気でトップを目指そうと気持ちが切り替わった」という。

「まさか」の強豪チーム加入、しかし……

 契約したシャンベリは国内リーグで優勝争いをする名門で、12年ロンドン五輪で金メダルを獲得した選手が何人もいた。そんなチームでまさか自分がプレーするとは1ミリも考えていなかった、信じられなかったという。まさに0からのスタートとなった第2の競技人生は、「毎日が学びで、1つ1つが勉強になった。本当に刺激的だった」と振り返る。

 筋金入りのポジティブ思考の土井が生まれて初めてハンドボールが嫌になったことがあった。

「フランスで7年間プレーしていましたが、毎日のように人種差別用語を浴びせられました。サポーターもそうだし、観客、チームスタッフ、そしてチームメイトからも。仲間とは認められていなかったんですね。本当にしんどかった。人間関係がうまくいっていないと、プレーの方にも支障が出てくるんですよ。『こんなチームでプレーしたくないな』と考えていると、段々、ハンドボールそのものが楽しくなくなってきてしまって。そういう状況でパスがまわってこないと、さらに考えてしまってどんどん悪循環に。毎日の練習も楽しくなかったですよ。楽しくないことのためになぜこんなに頑張っているのかって空しく感じたりもして」

 心が塞ぐような日々が続いていたが、自分の運動能力やポテンシャルは通用するという手応えを感じていた。人間関係さえ解決すれば通用するという自信もあった。だからこそ、どんな状況に置かれていても、「ずっと希望だけは持ち続けられていた」という。

【次ページ】 「この状況ですら楽しんでしまおう」

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