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〈セナ事故死から27年〉「弟は真剣にF1をやめるつもりでした」実姉が明かすセナとホンダの“知られざる関係”と日本への愛
text by
リビオ・オリッキオLivio Oricchio
photograph byJIJI PRESS
posted2021/05/01 06:02
本田宗一郎氏(左)と肩をくむアイルトン・セナ
「私たちの家族はとても仲が良くて、アイルトンは私たちと同じようにみんなから愛されて育ちました。私たちはお互いを尊重し、讃え合い、尊敬される人間であることを大切にしていました。しかし、F1を目指してレースを続けるために渡欧すると、さまざまな違った価値観と直面しました。ブラジル人であるという事実に苦しめられ、『ヨーロッパで成功するためには1日に20頭のライオンを殺さなければならない』と不満をこぼしていたものです」
そんなセナの前に現れたのが、自分と似た価値観を持つ日本企業のホンダだった。
「弟は真剣にF1をやめるつもりでした」
「私は心理学を専攻していた経験があり、政治的なパワーゲームが繰り広げられるF1の世界で、不満を抱きながらひとり戦うアイルトンを精神面から支えていました。しかし、ホンダと出会って、アイルトンはヨーロッパ社会と戦っているのは自分だけじゃないということに気づいたのです」
'89年の日本GPでアラン・プロストと接触した後、トップでチェッカーフラッグを受けながら失格となり、タイトルを逃したセナには、F1を離れるという選択肢もあった。それを思いとどまらせたのは、ホンダの存在だった。
「あの一件のあと、弟は真剣にF1をやめるつもりでした。彼がそう言ったのは、あのときが最初で最後です。でも、そんな状況でも、ホンダのエンジニアたちがアイルトンのために最高のエンジンを提供しようと冬の間に努力しているという事実を知り、思いとどまったのです。『ホンダの技術者たちは僕のために懸命に努力を続けている。僕も自分の役割を果たさなければならない。ホンダにすべてを捧げる』と」
ホンダと辛苦を共にした'90年、セナはリベンジを果たし、チャンピオンに返り咲いた。その年のFIA表彰式で、本田宗一郎から「君のために、これからもナンバーワンのエンジンを作るよ」と告げられると、セナは涙を流し、何度もうなずいた。