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〈セナ事故死から27年〉「弟は真剣にF1をやめるつもりでした」実姉が明かすセナとホンダの“知られざる関係”と日本への愛

posted2021/05/01 06:02

 
〈セナ事故死から27年〉「弟は真剣にF1をやめるつもりでした」実姉が明かすセナとホンダの“知られざる関係”と日本への愛<Number Web> photograph by JIJI PRESS

本田宗一郎氏(左)と肩をくむアイルトン・セナ

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リビオ・オリッキオ

リビオ・オリッキオLivio Oricchio

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本日5月1日はアイルトン・セナの命日だ。イモラ・サーキットで行なわれたF1サンマリノGP第3戦での事故で、この世を去ってから27年――。実姉がインタビューに答えた、「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。

ヨーロッパ社会で異なる価値観と衝突していた弟。そこへ日本からやってきたホンダのエンジニアたち。なぜ、両者は深く共鳴したのか、実姉が振り返る。
初出:「Sports Graphic Number」2021年3月4日発売号/肩書などはすべて当時〉

 アイルトン・セナが天国に召された1994年。秋に開催された日本GPの決勝前、セナのヘルメットのカラーリングが施されたヘリコプターが鈴鹿に到着した。乗っていたのは、実姉ビビアーニ・セナだった。

「あれは私たち家族が、アイルトンが亡くなったことに対して心の整理ができていないときでした。私にとって、日本へ行くことは簡単な決断ではありませんでした。弟が愛した鈴鹿を訪れることに少し怯えていたんだと思います」

 それでも、ビビアーニが日本行きを決めたのは、愛する弟をこれまで支えてくれたホンダと日本のファンのためだった。

「アイルトンはホンダのスタッフと一緒に仕事することの喜びをいつも私たち家族に語っていました。さらに日本にはブラジルと同じくらい多くの自分のファンがいて、まるで自分を神様のように崇めているとも話していました。そのアイルトンが天国へ旅立ち、彼らもまた辛い思いをしている。家族にできることは、弟を支えてくれた日本の方たちへ感謝を伝えに行くことだ、と」

「日本行きを決断したことは間違いではなかった」

 だが、ブラジルから日本への旅は、簡単ではなかった。悲しみに耐え、責任感を背負ったビビアーニは、日本に到着してすぐに体調を崩してしまった。

「胃腸炎だったのですが、ブラジルから日本への長旅の疲れもあって、鈴鹿に向かうときにはかなり弱っていました」

 しかし、ヘリコプターから降り立ったビビアーニは、目の前にアイルトンを称える多くのブラジル国旗を見て、日本行きを決断したことが間違いではなかったと確信した。そして、セナが最後にチャンピオンを獲得したマクラーレン・ホンダのマシンが停まるスタートラインへ、力強く歩みを進めると、ファンに向けて日本語でこうスピーチした。

「アイルトンは生前、多数のトロフィーを獲得しました。しかし、日本の皆様からは特別なトロフィーをいただいています。それは名誉・崇拝・尊敬、そして愛により作られたトロフィーでした。心から感謝いたします。本当にありがとうございました」

 名誉・崇拝・尊敬、そして愛――これはセナを語る上で、重要な言葉だとビビアーニは語る。

【次ページ】 「ブラジル人であるという事実に苦しめられた」

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