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「長瀬智也は人を殴れない」ドラマ『俺の家の話』の“名演技”を支える幼馴染のプロレスラーが明かす舞台裏 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byTBS

posted2021/03/05 11:01

「長瀬智也は人を殴れない」ドラマ『俺の家の話』の“名演技”を支える幼馴染のプロレスラーが明かす舞台裏<Number Web> photograph by TBS

ドラマ『俺の家の話』で主演・長瀬智也にプロレスの所作を指導するのは、小学校時代からよく知る間柄だというプロレスラー勝村周一朗だ

長瀬智也とは小学校からの付き合い

 そんな勝村が長瀬にプロレスをレクチャーし、ドラマ本編にまで出演するに至った理由も、このドラマの展開と同様、さまざまな偶然と不意打ちが重なり合った賜物だった。

 2歳違いの勝村(76年生まれ)と長瀬(78年生まれ)は、同じ横浜市青葉区内(※当時は緑区)の公立小学校と公立中学校の先輩後輩にあたる、いわば地元の幼馴染だったのだ。

 子どもの頃から一緒に遊び回っていた仲。よく知られる通り、長瀬は13歳からジャニーズ事務所に入所し、タレントとして活躍。中学卒業後に実家を離れて事務所の寮に入ったものの、休日などには実家に戻り、高校生となった勝村らが結成したサッカーチームに入るなどして交流は続いていた。勝村自身も高校生となり、格闘技界の名伯楽・木口宣昭氏が主宰する木口道場レスリング教室に入門し、レスリングをベースに格闘家としてのキャリアをスタートさせつつ、長瀬の実家が経営する飲食店にてアルバイトをしていた。

「実家は800メートルぐらい離れているんですけど、仲の良い友だちが智也の実家の3軒隣だったりした関係で、学年は違うんですけど、小学校の頃からよく校庭で遊んだりしてましたね。当時の智也は生意気というか、とにかく活発な子でした」(勝村)

「いいところも、ダサいところも知っている周くんに」

 勝村が長瀬から「もしかすると今度、ドラマでプロレスラー役をやるかも知れない」と相談されたのは、世がコロナ禍に揺らぐ直前、2020年正月に催した新年会の場だった。子どもの頃から骨格こそ大きいものの、太りにくい長瀬の体質を知っていた勝村は「じゃあ、とにかく食って食って食いまくれ」とざっくりアドバイスしつつ、やがて横浜・西平沼町にある勝村主宰のジム「リバーサルジム横浜グランドスラム」に長瀬が通い、徹底したマット運動、プロレス特有の受け身などをレクチャーしていた。

 いよいよドラマの話が具体化すると、正式に主演俳優に決定した長瀬から「周くん、頼むよ」と、継続してプロレス指導を頼まれることになる。

「俺のいいところも、ダサいところも全部知っている周くんに、撮影現場にも立ち会ってほしい」と長瀬に頼み込まれた3日後、勝村はTBSに出向いて監督やプロデューサーに挨拶。するとTBS側から、長瀬との個人的関係だけでなく、プロレス監修に全面的に協力すること、そしてプロレスシーンで長瀬の相手役を務めることを依頼される。

 勝村は一流の格闘家ではあるものの、プロレスのキャリアはまだ浅い。突然の依頼に尻込みしつつ、個人では対応しきれないと判断し、その場でガンプロの木曽大介レフェリーに電話を入れ、団体としてドラマ撮影に協力することを願い出た。プロレス業界の中では「弱小団体」とされるガンプロが突然、大きな波に飲み込まれた瞬間でもあった。

 勝村に与えられた役は「さんたまプロレス」所属の「スーパー多摩自マン」なる覆面レスラー。リングネームの由来は福生市にある石川酒造の銘酒「多満自慢」が由来。当初、プロデューサーからは「覆面を脱いだら本職の役者さんが演じるんで安心して来てください」と言われていたはずだが、いざ撮影現場に入ると、マスクを脱いだ後も勝村本人がセリフも含めて演じることになっていた。

 この時点になって、ようやく勝村は「もしかしてオレ、智也にハメられていたのかも……」と気がつく。

【次ページ】 玄人にも好評だった長瀬のフォーム

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