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「東京五輪“中止”論争、アスリートにどう影響?」「無観客五輪で一番失われるものは?」“3度出場”為末大に聞く
posted2021/02/07 11:01
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
AFLO
昨年11月、体操の内村航平はこう訴えた。
「どうにかできるやり方は必ずあるので、どうか『できない』とは思わないでほしい」
先月、IOCのトーマス・バッハ会長もこう言った。
「開催されるかどうかではなく、どう開催するかだ」
規模を縮小し、感染対策を徹底すれば、“新しい形”の五輪はできるかもしれない。しかし、観客もなく、地域との交流もなく、祝祭感もなかったとして、それは果たしてオリンピックと言えるのだろうか。
組織委員会トップ・森喜朗会長の偏見にまみれた舌禍事件によって、この期に及んでまたもや隅っこに追いやられてしまった感はあるが、主役となるべきが選手たちであることは変わりない。選手にとってオリンピックとは何なのか。何が選手たちにとってオリンピックをオリンピックたらしめるのか。
それを考えるため、2000年のシドニーオリンピックから3大会連続で出場し、“走る哲学者”と呼ばれた為末大に話を聞いた。(全2回の1回目/#2へ)
◆◆◆
選手村、無観客…どこまでなくなるとオリンピックでなくなる?
――もし東京オリンピックが開催されたとしても、これまでの大会とは大きく変容しそうです。開閉会式は簡素化、選手村での交流も大幅減。IOCは競技の5日前入村というプランも検討しているとか。アスリートの目線から、それでも4年に一度の祭典は成り立ちますか?
為末 僕だったら気になりません。僕自身、選手村に入るのはだいたい競技の4日前でした。時差調整のために別の場所で事前合宿をすることはあっても、大抵はそんなものでしょう。シドニーの時は1回も選手村から出ていません。他の選手もそんな感じでした。北京の時も外に出たのは万里の長城に行った1回だけでした。
開会式は3大会とも参加していません。陸上競技の日程は大会後半なので、その頃はまだ現地にいないんです。閉会式はたぶん出ていたと思いますが、きちんと覚えていないですね。
――観る側からすると開閉会式は強く印象に残るコンテンツでもあります。
為末 アスリートからすれば、要は競技のことだけなんです。競技に関して何かがなくなってしまうとオリンピック感が薄れる。競技さえきちんと成立していれば、おそらく開会式や選手村のことは大きな問題ではない。
――観客人数の制限や無観客も現実的な選択肢です。開催されたとしても、客席が満員になることは望めないような気がします。
為末 何がなくなってしまうとオリンピックではなくなるのか。当然、人によって違いますが、私としては観客がいないことはおそらく許容できるだろうと思います。ただ、西側諸国がボイコットしたような1980年のモスクワオリンピックのような状況は、アスリートにとって許容範囲ぎりぎりだったんじゃないかと思うんです。
――というのは?