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藤川球児が語っていた、“自分が辞めて松坂大輔が続ける”理由「僕の中にハッキリとした答えがある」

posted2021/01/31 11:00

 
藤川球児が語っていた、“自分が辞めて松坂大輔が続ける”理由「僕の中にハッキリとした答えがある」<Number Web> photograph by KYODO

昨年は公式戦の登板はゼロに終わった松坂。昨年7月に受けた頸椎手術のリハビリを続け、今季中の復帰を目指す

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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KYODO

 松坂世代の現役プレイヤーはあと2人を残すのみとなった。それが和田毅と松坂大輔である。

 高卒ルーキーとして世代を牽引してきた松坂と、大卒ルーキーとして松坂の背中を追ってきた和田。印象的だったのは2004年のアテネ五輪だ。彼らは左右の両輪として並び立った。準決勝の先発が松坂、その試合で敗れての3位決定戦は和田。23歳だった2人が、オリンピックで最後の2試合を任されていたのである。あれから17年のときが流れた。

 プロで一年でも長く、という価値観から考えれば、松坂と和田が最後まで勝ち残ったのは驚くべきことだ。アマチュアで世代トップ、プロでもトップに並び立った同学年の2人が最後までユニフォームを着ていたのはKKコンビくらいだろう。ともにケガに苦しみ、投げられない時期を乗り越えて契約を勝ち取り、40歳のシーズンを迎えるのだ。和田がこう言っていたことがあった。

「肩の痛みに苦しんで投げられなかったとき、大輔はあきらめずにリハビリを続けた。その大輔が一軍で投げるところを見て、自分も頑張ればあの場に戻れるんだと励まされました。大輔が道を示してくれたんです」

「先発は大事なところで登板できれば価値がある」

 昨年の松坂は、どんなに手を尽くしても指の痺れを消すことができなかった。しかし、投げることができればバッターを打ち取れるというイメージもまた、消し去ることはできなかった。だから彼は現役を続けるのだ。死に場所を探しているのではない。プロとして生きるために、今年も松坂はユニフォームを着る。松坂世代の一人、昨年限りで引退した藤川球児のこんな言葉が蘇ってきた。

「僕はリリーフで、毎日投げることができなくなったから辞めるんです。でも先発は大事なところで登板できれば価値がある。僕が辞めて、大輔が投げ続ける理由は僕の中にはハッキリとした答えがあります。先発だからこそ、ゲームメイクの能力が高い大輔はここ一番で必要になるんです。ケガさえ治れば戦力になると球団が判断する限り、いくらでもやったほうがいい。リリーフは年間通して戦えないと迷惑がかかりますが、先発はそうじゃありませんから……」

 ライオンズのユニフォームを着て、先発のマウンドに立ち、チームに勝利をもたらす―その日のために松坂は今、準備している。

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